沿革

本願寺津村別院の歴史

 本願寺第8代宗主蓮如上人の手により、大坂(明治から大阪)に、親鸞聖人から伝えられた「お念仏」のみ教えを弘めるため、現在の大阪城のあたりに一つの小さな坊舎(後の石山本願寺)が建てられました。1496年のことです。

 その坊舎を中心にしてまわりに寺内町が形成され、大坂の町は大いに発展していったそうです。しかし、織田信長との長い争いにより、本願寺は生み育てた大坂を離れなければならなくなり、そこで、大坂の門徒はこの地での「お念仏」の灯りをまもるため、天満に近い「楼の岸」に新しい坊舎を建立しました。

 その後、「津村郷」と呼ばれていた現在の地に移り(津村別院の名称の由来)、津村御坊は「北御堂」と称されるようになり、南御堂(真宗大谷派難波別院。津村別院から南へ約500メートル)とならび大坂のひとびとに親しまれてきました。

 この南北両御堂(通称=御堂さん)の近くに、篤信の門徒(近江出身の商人など)が集まり、大坂の商業の中心「船場」の町を築きました。その昔、ここで働く商人たちは、「ひときわ大きな屋根を誇らしげにしている『御堂さん』の鐘の聞こえるところで商売を……」を合い言葉に商いに精を出したといいます。

 お念仏が繁盛していた当時の津村別院は、昭和20年3月の大阪大空襲で焼失してしまいましたが、その後、多くの方のお陰により、昭和39年、西洋風の建物で復興し現在に至ります。

 皆さんが肌で感じられている大阪のパワーは、約500年前、一つの小さな坊舎が大坂に建てられたことから始まりました。

北御堂の歩み

和 暦 西 暦 内 容
明応5年 1496 大坂御坊の建立。現在の大阪城付近[画像1 画像2 画像3]。
明応8年 1499 蓮如上人のご往生。
天文2年 1533 山科本願寺の焼失により、大坂御坊が本山となる。(石山本願寺)
永禄7年 1564 大火により石山本願寺全焼。
永禄8年 1565 石山本願寺再興。
元亀1年 1570 石山合戦始まる。
天正8年 1580 石山合戦終わる。(本山は紀州鷺森へ退去)
天正19年 1591 本山の京都移転後、大坂の門徒が楼の岸に集会所を設ける。
慶長2年 1597 楼の岸の集会所を圓江(津村)の地に移転し、坊舎を建立。(津村御坊)
明暦元年 1655 朝鮮使節団の旅館となり、朝鮮外交の一役を担う。
元禄7年 1694 第一次境内地拡張。
享保9年 1724 すべての堂舎が炎上する。第2次境内地拡張。
享保19年 1734 御堂の再建。
別院施設[画像1 画像2 画像3 画像4 画像5 画像6]、
別院全景図[画像1]、
別院周辺図[画像1]。
明治1年 1868 地方官庁としての大阪鎮台が置かれる。明治天皇の行在所[画像1 画像2]となる。
明治9年 1876 津村別院と改められる。
昭和2年 1927 御堂筋拡張のため境内地[画像1]を提供する。
昭和20年 1945 第1次大阪大空襲により全焼[画像1]。
昭和26年 1951 仮本堂建立。
昭和39年 1964 再建[画像1 画像2 画像3]。
平成4年 1992 津村ホール改修。北御堂納骨壇設置。