熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その8
【御隠居】「えらい時間かかってるけど、まだ六事成就の話済んでませんな。」
【熊】 「はあ、せやけど、御隠居はんの話、ようわかりますわ。どうせ、暇なんでっさかいにじっくりといきまひょうや。」
【御隠居】「そやな、『急いては事を仕損じる』ともいうからな。」
【熊】 「それで、あと何が残ってたんでっかいな。」
【御隠居】「ええーと。場所までゆうたから、残りは一つ、衆やな。」
【熊】 「衆というと。」
【御隠居】「大衆の衆や。そこに集まって、お釈迦さまの説法を聞いてはった方々のことや。前に結集のとこで、ちょっとお弟子の事を話したやろ。」
【熊】 「ああ、そうでしたな。」
【御隠居】「『与大比丘衆 千二百五十人倶』とあるように、比丘というのは、お弟子のことやから、阿弥陀経の聞き手であるお弟子は、千二百五十人おられたんやな。」
【熊】 「そんなにいたはったんでっか。」
【御隠居】「そや、その中でも代表になってる人が十六人、名前をだされてるんや。」
【熊】 「『長老舎利弗 摩訶目
連 摩訶迦葉 摩訶迦旃延 摩訶倶
羅 離婆多 周利槃陀伽 難陀 阿難陀 羅
羅
梵波提 賓頭盧頗羅堕 迦留陀夷 摩訶劫賓那 薄拘羅 阿
楼駄』となってるとこでっか。」
【御隠居】「そやそや、それが全部名前なんや。十六人いたはるやろ。」
【熊】 「ひい、ふう、みい…。ほんまや十六人、ちゃんといたはるわ。」
【御隠居】「先ず、舎利弗というのはな、智慧第一といわれた、お釈迦さんの十大弟子のお一人なんや。」
【熊】 「なんです、その十大弟子というのは。」
【御隠居】「お釈迦さんのお弟子の中で中心になった人達や。それぞれ特徴を持った人なんや。」
【熊】 「第一というと、第二、第三もいたはるんでっか。」
【御隠居】「いや、第一しか聞いたことないな。これは私の思いなんやけど、今の学校や会社みたいに順番や順位を決めたものやのうて、自分の特徴や才能が最大限に生かされるということやないかな。」
【熊】 「はあ、そういや、わてらの小学校の時分には勉強できいでも、運動会で走りが速かったりしたら、ヒーローになれてましたわ。けど、今時は勉強がでけへんかったら、走りが速ようても、絵がうまかっても、あかんらしいでんな。」
【御隠居】「言う通りや。それぞれの個性が精一杯生かされていくのが、ほんまなんやろうな。」
『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より
【御隠居】「処というのは、どこということで、『祇樹給孤独園』とあるやろ、ほれ平家物語の最初に出てくる祇園精舎がそれのことや。」
【熊】 「へえー、御隠居はん、よう知ったはりますな。もしかしたら、お釈迦さんが説いたはったとこに、いたはったんちゃいまっか。」
【御隠居】「これ、そしたら私の歳はいくつになんねんな。人を化け物のようにいうたらいかんな。けどな、お経というのは、いつ聞いても、お釈迦さんが直接説いて下さってるように聞いていくんやで。そのことを表してるのが、一時ということやったやろ。」
【熊】 「はあーそうでしたな。ところで、祇樹給孤独園てどんなとこでっか。」
【御隠居】「そやな、お釈迦さんがおられた当時のインドはいくつもの国にわかれて、その中のコーサラ国の首都の舎衛城に、ある長者がおってな、スダッタという名前なんやけど、そのお方は親のない子供や身寄りのない老人の世話をしておられたんや、それで、給孤独ともいわれたんや。」
【熊】 「給孤独て、孤独な人に給仕するということでっか。」
【御隠居】「そや、よう知ってるな。」
【熊】 「いやー、そんなほめられたら照れるやおまへんか。」
【御隠居】「ほほー、熊もやっぱり照れるか。さて、続きや。その方がある日、王舎城というところで、お釈迦さんの教えを聞いて、たちまち信者となって、自分の住んでる舎衛城にも来てもらいたいと思ったんやな。」
【熊】 「そんなら、そのスダッタはんは、酒と女でお釈迦さんをつったんでんな。」
【御隠居】「これ、熊はん。あんたとちゃうで。お釈迦さんは、そんなんで動くような方やあらへん。」
【熊】 「そんなら、どうしはったんでっか。」
【御隠居】「自分の住んでる舎衛城にお寺を建てることにしたんや。祇園精舎というてる精舎というのは、お寺ということや。それで、場所を探したら、コーサラ国の王子の祇陀太子の持ってる林がええということになって、スダッタはんは、そこを分けてもらお思て、頼みに行ったんや。けど最初は祇陀太子も譲りたないもんやから、断ったはったんやけど、あまりにしつこいから、いじわるいうたら諦めるやろと、『欲しいと思う土地に金貨を敷き詰めなさい。』なんてことをいうたんやな。」
【熊】 「へー、そらなんぼお金持ちいうたかて、そんなんやったら、諦めるやろうな。」
【御隠居】「ところが、スダッタはんは欲しい土地全部に金貨を敷きつめたんや。それでびっくりした王子が、なんでそこまでしてこの土地を欲しいんやと聞かはったんや。そこで、スダッタはんが事情を話すと、祇陀太子は感激して、お釈迦さんのそんな尊い教えを聞けるんやったら、私も手伝わしてほしいとゆうて、そこに生えてた木を提供して、お寺を建てたんや、それで二人の名前を入れて、祇樹給孤独園となったんや。」
『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より
【御隠居】「如是我聞のところで寄り道をしてしもうて、六事成就のあと四つが残っとりましたな。」
【熊】 「そうでんがな、あと四つて何でっか。」
【御隠居】「それはな、時、主、処、衆というてな、いつ誰がどこで誰に向かって説いたかということなんや。『如是我聞』の次に『一時』とあるやろ、それが時やな。」
【熊】 「そしたら、一時というのは、午前でっか、午後でっか。」
【御隠居】「ちゃうちゃう、その一時やないんや。これはある時ということやな。」
【熊】 「なんではっきりした時間をいわんのでっか。」
【御隠居】「それはな、このみ教えが単に昔話ではないということを表してるんや。つまり、今、私が聞かせてもろてる時が、一時ということなんや。」
【熊】 「へえー、さよでっか。そんなら、次の『仏在』というのが、主でっか。」
【御隠居】「ちゃうがな、『仏』だけが、主になる。主というのはお釈迦さんのこと、説いてくれはった人のことや。」
【熊】 「それやったら、お経はみんな、お釈迦さんが説かはったんとちゃいまんの。それをわざわざ言うこともないと思いまっけどな。」
【御隠居】「そらそうかもしれん。けど、あっちのお経には出てて、こっちのお経にはでてないとなったら、おかしいやろ。それに、六事成就がないとお経やないとさだめられたんは、お釈迦さんなんや。それは、きっとお釈迦さんがおられんようになって、その教えを弟子が伝えていく時に、そのことを説いたんは、私やから、その内容に間違いがないということも、私が責任を持つと、お釈迦さんが気い使われたんちゃうやろかなあ」
【熊】 「そら、そうでんな。どこの誰がゆうたかもわからん話やったら、その中身を信じるわけにいきまへんもんな。ましてや、わての人生を左右するような話なんやから、誰がゆうたかは、はっきりしといてもらわんとな。」
【御隠居】「ほんまにそういうことやな。私らの人生を左右するような話やと聞いていかなあかんのが、お経ということやろな。こりゃ、熊はんに教えられましたな。」
『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より
【御隠居】「そしたら、次にいこか。」
【熊】 「ちょっと、待っとくなはれ。このお経見てたら、『仏説阿弥陀経』と今の『如是我聞』の間になんか書いてまっせ。なになに、『ようしんのさんぞうほっしくまらじゅうしょうをうけたまりてやくす』となってまんな。」
【御隠居】「熊はん、よう読めたな。」
【熊】 「いや、横の仮名読みましてん。」
【御隠居】「なんやそうかいな。せやけど、そこに気ついたんは感心やな。そこはお勤めでは読まんとこやな。ほれ、鳩摩羅什とあるやろ。」
【熊】 「へえ、あんた、寝不足か、目の下くまらじゅう、なんてね。」
【御隠居】「これ、ダジャレいうてどないするねん。これはな、人の名前なんやで。」
【熊】 「へえー。何した人でっか。」
【御隠居】「このお経を訳した人や。お経というのはインドの古い言葉で書かれてたんや。それを中国に持ってくる時に中国語に訳したんや。」
【熊】 「なんや、そんならやっぱり目の下くまらじゅうでんがな。」
【御隠居】「なんでや。」
【熊】 「その人、阿弥陀経訳すのに、夜遅うまでかかったんでっしゃろ。せやから夜更かしして目の下くまらじゅう。」
【御隠居】「何あほなこというてますんや。これはな、姚秦の時代と言うから、今から1500年ほど前のことやな。姚興王という王様がおられて、鳩摩羅什に、このお経を訳すようにと、命令されたんや。」
【熊】 「そんなら、鳩摩羅什という人は、通訳をしたはったんでっか。」
【御隠居】「まあそんなとこやな。けど、言葉訳すだけの人とは違うねんで。そこに三蔵法師とあるやろう。」
【熊】 「はあ、書いてますなあ。これ聞いた事ありますわ。そうそう孫悟空に出てきましたんで。」
【御隠居】「そやそや、あの孫悟空に出てくる三蔵法師は立派なお坊さんやろ。そのお坊さんがインドにお経をもらいに行くのが、あの話や。ああやって当時はお経をもらいにいってたんやろなあ。」
【熊】 「あの話やったら、途中で色々な魔物が出てきたりして、何度も危ない目に会うてますで。そんな危ないことせんでも宅急便で送ったらええのに。」
【御隠居】「何いうてますんや。そんな昔に宅急便なんてありますかいな。それにあの話しはただお経をもらいにいったということをいうてんのやのうて、仏教という尊いみ教えに遇うということは、いのちをかけても惜しゅうないということを教えてくれてるんや。それは私にとって一番大事なもんが仏教なんだぞということでもあるんや。」
『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より
【御隠居】「さて、阿弥陀経の本文に入っていこか。お経というのはな、どれも最初に六事成就というのがあってな。」
【熊】 「なんです、それ。」
【御隠居】「これはな、つまり、お経といわれるものは六つの条件が整って、初めて説き出されるんや。先ず、私はこのように聞かせていただいたと、始まるんやな。ほれ、この『如是我聞』というのがそれや。」
【熊】 「はあ、私がこのように聞いたというとこから始まるんでっか。その私というのは誰ですねん。」
【御隠居】「ああ、それはな、お弟子の方々や。」
【熊】 「お弟子って、どんな人がおりましたんや。」
【御隠居】「たくさんおられたんやで、この阿弥陀経にも名前が出てきてるから、後で話すことにしましょうか。」
【熊】 「へぇー。けど、けったいですな。」
【御隠居】「なんでや。」
【熊】 「そうでっしゃないか。お釈迦さんが説きはったんでっしゃろ。そしたら、はじめから、わしの教えはこうやぞと言わはったらよろしいでんがな。それを、回りくどうに、私達はこう聞いたなんてゆうて。」
【御隠居】「それや、熊はん。お経というのはな。お釈迦さんが説きはったに違いないんやけど、書き残さはったんやないんや。それぞれのお弟子にあうように、話して聞かさはったんや。せやから、みんなようわかったんや。けど、お釈迦さんが居られた時はそれでええわな。」
【熊】 「そうでんな。わからんかったら、また、お釈迦さんに聞けばすみまんな。けど、今やったらどうなりまんねん。わてら聞きに行くとこありまへんがな。」
【御隠居】「そこや、お釈迦さんがじかに説いたというだけやったら、それがおおとるもんかどうかわからんわな。そこでや、お釈迦さんが亡くなった後に、色々な教えを聞いたお弟子方が集まって、お釈迦さんから聞いた話をみんなの前で話したんや。それで、みんなが、私もそう聞いた、それに間違いないというたもんだけを残したんやな。それを結集(けつじゅう)っていうんや。」
【熊】 「わかりました、御隠居はん。『如是我聞』というのは、六事成就の最初の二つのことでんねんな、これはつまり、えーと。」
【御隠居】「ほんまにわかってんのかいな。最初の二つを聞信というてな、私はお釈迦さんが説かれたその通りに聞きました。ということや。」
【熊】 「なるほど、さすがに御隠居。ようわかってる。」
【御隠居】「これ、そんなことでなぶるんやないで。ほんまにわかったんかいな。」
【熊】 「へえ、聞信がないとあきまへんねやろ。聞信普通っていいますやん。」
【御隠居】「そら、音信不通やがな。」
『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より
【熊】 「ところで、その阿弥陀というのはどんな仏さんなんだっか。」
【御隠居】「それや、それや。熊はんも時にはええこと聞くやないか。阿弥陀さんのことは、このお経を読んでいくうちにわかってくるやろうけど、それよりも、だいたいお経というのはな、今の熊はんみたいに、誰かが質問することから始まるんや。ところがな、この『阿弥陀経』は誰も質問してないのに始まるんやな。」
【熊】 「誰も質問してへんことが、そんな大事なことなんでっか。」
【御隠居】「そやな、まあ、ゆうてみると、お釈迦さんが勝手に説き出したお経ということで、こら言い残したらあかんと思わはったことを説かれたんやから、大事なお経になるな。」
【熊】 「はあー、そうなんでっか。」
【御隠居】「そうなんや。せやから阿弥陀経の事を無問自説経というて、親鸞聖人は大事なお経とされたんや。」
【熊】 「親鸞聖人?またややこしい名前出てきましたな。何ですそれ。」
【御隠居】「熊はんと話してたら、なかなか前へ進まんな。けど、何でもわからんことを聞くのはええことや。」
【熊】 「で、親鸞聖人て何でんねん。」
【御隠居】「熊はんとこは、門徒やいうてましたやろ。」
【熊】 「そうです。門徒、門徒て昔からいうてきましたわ。あれ、扉のことですやろ。」
【御隠居】「何でもわからんことを聞くのはほめといたげるけど、スカタン聞くから困ったやっちゃな。門徒いうのは、浄土真宗の人を指していうてんねん。」
【熊】 「なんやそうだっか。せやけど、その浄土真宗と親鸞聖人と、どう関係ありますねん。」
【御隠居】「その浄土真宗を開かれた方が親鸞聖人なんや。」
【熊】 「なんやそうだっか。ほな、次いきまひょか。」
【御隠居】「せっかちなやっちゃな。そしたら、本文(ほんもん)を読んでいきましょか。」
【熊】 「へっ?お経にも、ほんもんやにせもんがあるんでっか。」
【御隠居】「そやないがな、仏教の読み方では本文(ほんぶん)と書いて、ほんもんとよむんや。」
【熊】 「そうだっか。そんなん、ゆうてもらわんとわからんわ。」
【御隠居】「確かに、そやな。こんなこと解ってるもんと思って話すほうと、聞くのん恥ずかしいから解った振りして聞いてるもんがいるから話がややこしなるんやろな。気いつけなあかんな。」
【熊】 「そうでっせ。」
『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より
【熊】 「御隠居はん、持ってきましたで。」
【御隠居】「ああ早かったな。どれ、見せてみなはれ。ああやっぱり阿弥陀経やったんやな。これやったら、私も読んだことがあるから、大体わかりますわ。」
【熊】 「そらよろしいな。ほんなら先ず始めに、仏説阿弥陀経と始まってるのは何でっか。」
【御隠居】「ああそやな、『ぶっせつあみだきょー』とお坊さんが一人で読むとこやな。これはな、題号といいましてな。本の題と同じことなんや。お経というのはな、みんな『仏説』とついてるんや。これはお釈迦さんが説かれたというとをあらわしてるんや。」
【熊】 「ああ、お釈迦いうたら、あかんようになった時にいうことですやろ。この前、大工の徳さんがのこぎりをしげしげ見ながら、『あーあ、こりゃお釈迦や』いうて、ほってましたで。」
【御隠居】「また、そんなこという。ええかげんにしときや。お釈迦さんゆうたらな、2500年ぐらい前に、インドにお生まれになって、悟りを開かれて、仏教を説かれた方や。ほれ、子供の頃に、4月の始めごろ花御堂の中に立っておられる小さい仏さまに甘茶をかけたんおぼえてるやろ。」
【熊】 「おぼえてますで、甘茶ゆうたら、紅茶みたいなやつでっしゃろ。それやったら、かけたあとに飲ましてもらいましたわ。あれがお釈迦さんですかいな。」
【御隠居】「そや、そのお釈迦さんが説いて下さったものやぞというしるしが『仏説』ということや。」
【熊】 「そしたら、次の『阿弥陀経』ってのがこのお経の題でんな。」
【御隠居】「そやそや、お経というのはな、元々サンスクリットというてインドの古い言葉で書かれてたんや。それを中国で漢字に直したんやな。その時に英語を日本語に直す時のように、意味を考えて直したんやけど、中には意味から漢字に直したんでは、おかしなってしまうもんもあったんやな。それがこの『阿弥陀』や。熊はんも知ってるやろ、これは仏さんの名前や。」
【熊】 「そうすると、これは阿弥陀さんのことをお釈迦さんが説いて下さった本ということでんな。」
【御隠居】「そやな、そういうことになるな。」
『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より
お経というと、わけのわからない、難しいものと世間では言われておりますが、ここでも熊さんが御隠居に尋ねております。
しばらく聞いてみることにしましょう。
【熊】 「こんちはー、御隠居はん、いたはりまっか。」
【御隠居】「なんや、熊はんやないか。えらい剣幕でどないしたんや。」
【熊】 「どないしたんとちゃいまっせ、ちょっと聞いとくなはれ。この前、親戚の法事に呼ばれましてな。」
【御隠居】「ほお、熊はんでも法事に行きますんかいな。感心なことやな。」
【熊】 「せやから感心なことやなとちゃいまんねん。その時のくそ坊主が、いっしょに読めいうて、お経を渡しよりまんねん。わてら、生まれてこのかた、お経は焼香する時の伴奏ぐらいにしか思とりまへんでしたから、面食らいましてな。その後にまた、そのくそ坊主が、お経は、あんたらが聞くもんで死んだ人に聞かせてんのとちゃうねんで、とぬかしよりまんねん。」
【御隠居】「これこれ熊はん、くそ坊主とはなんやいな。お坊さんといわんかいな。」
【熊】 「けど御隠居はん、くそ坊主とも言いたなりまっせ。わからん字がぎょうさん並んだるもんを読めやなんて、坊主て死んだ人にお経読んでなんぼのもんちゃいまっか。」
【御隠居】「こら、熊はん。ええかげんにしんかいな。そのお坊さん、いっしょに読もうといわはったんやろな。なんで、そないなこといわはったかわかるか。」
【熊】 「いやあ、なんでっしゃろな。そういや、お経が終わってから、なんやぐだぐだ話とったな。わては、後のご馳走のほうが気になって、気になって。」
【御隠居】「熊はん、それやったら法事やのうて、食事やないか。その話しが大事やったんやで。」
【熊】 「そうだっか。で、どんな話してましたんやろな。」
【御隠居】「そやな、多分いっしょに読んだお経の話しやったんやろな。どや、熊はん、そのお経持っといで。わしといっしょに読んでみよやないか。」
【熊】 「そうだっか、そらおもろそうでんな。今の今までお経に意味があるやなんて知らなんだからなあ。そしたら、お経持ってきますわ。ちょっと待っといとくなはれ。」
こうして、熊さんと御隠居は阿弥陀経を読んでいくことになりました。
『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より
ご門徒のお宅へお参りにいってご法座の案内をすると、決まって返ってくる答えが、
「まだ、忙しいので、そのうちに参らせてもらいます。」
「まだ、若いからそのうちに。」
「おばあちゃんが参りますから、私はそのうちに…。」
そして、何年か経ってようやくお参りに来られたと思うと、
「あんなあご院さん、私この頃足が痛くてよう座りませんので、すぐ失礼させてもらいます。」
お寺という所は、どうにもお参りしにくい所のようです。
このことはご門徒に限ったことではなく、お寺に住まいさせてもらっている者にも同じことがいえます。
仏法を聴聞することで、自分が偉くなるのだったら誰もがこぞってお寺参りをするのでしょうが、聞けば聞くほどわが身の愚かさが知らされるのですから、他人の評価だけを気にしながら生きる現代人にとってあまり魅力的ではないのかも知れません。
そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が離れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら
そのうち そのうちそのうちと
できない理由をくりかえしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
頭の上に淋しい墓標がたつ
そのうち そのうち 日が暮れる
いまきたこの道かえれない。 相田 みつを
私はどこから来てどこへ行くのでしょう。
求めるのは今しかありません。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
障害児教育につくされている向野幾世先生のお話です。
近鉄奈良駅のバスターミナルで、車椅子の人が、前輪を歩道に乗せようと苦労していました。その時、5つぐらいの女の子を連れた若いお母さんが通りかかりました。手にしていたビニール袋を子供に持たせて、急いでかけより、車椅子の前輪あげを手伝いました。車椅子の扱いがわからなくてずいぶん苦労されてたようですが、やっとのことで歩道に乗り上げることができました。私は、この光景をバスの中から見ていました。車椅子の人に急いで駆け寄ったお母さん、歩道に乗り上げることができてほっと上気して子供の所に帰ってきたお母さん。子供に、「重かったでしょう、ごめんね」と言ったお母さん。子供は親の後ろ姿を見て育つと言います。このお母さんのように、さわやかに生きる姿は、子供の心に残ることでしょう。
誠実に生きる母親の姿に心をうたれます。ひたすら人につくす母親の姿に感動します。私たちも、真実の道を誠実に生きる姿勢でありたいものです。
仏教では、仏道を歩む人に欠くべからざる4つの姿勢を教えています。
一、布施 布とは自分の財物を他人に分け与えること。施とは精神的にも物質的にも人々のためにつくすこと。
一、愛語 正しい道理を話すこと。
一、利行 行いや言葉をやさしく、そして心に思いやりを持つこと。
一、同事 人々と苦楽を共にすること。
あなたも、この4つの姿勢を持つように心がけて、さわやかに生きたいものです。そして、あなたのお子さんや、お孫さんにとって、あなたは先生であることを忘れないで下さい。これは決してむずかしいことではありません。
あなたが親から学んだすばらしい生き方を子供に伝えるだけでいいのです。あなたの背中はだいじょうぶですか?
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より


