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北御堂を知る

年 表

大阪坊の創建と蓮如上人

1498(明応7)年 

蓮如上人、大坂坊舎建立の御文章を作る(「大坂建立章」)。

大坂本願寺(石山本願寺)と寺内町 ~石山合戦、信長との戦い~

1532(天文元)年

山科本願寺の焼亡により寺基を大坂に移す。

1533(天文2)年

第10代証如上人、宗祖親鸞影像(木像)を大坂に安置する。

1570(元亀元)年

信長、大坂の川向の川口・楼岸に出、交戦す(石山合戦の発端)。
顕如上人、信長との講和につき誓詞を交す(第二次和解)。

1576(天正4)年

楼岸門徒一万余、信長と戦う。その後、信長は大坂の四方に十塁を設け、
本願寺は51箇所の端城を構え籠城を決意。毛利輝元、海上兵糧米を石山へ搬入。

1580(天正8)年

正親町天皇の勅により信長と講和。顕如上人、誓詞を出す。
顕如上人の長男教如上人、大坂退去を拒否する。
顕如上人、宗祖影像を奉じて大坂を退去。翌日、紀伊(和歌山県)鷺森に赴く。
教如上人、大坂を退去し紀州に赴く、大坂本願寺炎上。

1583(天正11)年

顕如上人、宗祖影像を奉じて和泉貝塚へ移る。大坂で豊臣秀吉と対面。

1584(天正12)年

秀吉、大坂本願寺跡に築城して入る。

1585(天正13)年

秀吉、大坂天満東西七町・南北五町の地を本願寺に寄進。
顕如上人、宗祖影像を奉じて天満に移居。

1591(天正19)年

秀吉、京都七条堀川の地(現在の本願寺)を寄進、寺基を移す。
その後、大坂の門徒、楼岸に坊舎を造立。

1593(文禄2)年

秀吉、顕如上人三男准如上人に寺務の継承を認める。教如上人隠退する。

1597(慶長2)年

町割改革により、楼岸坊舎を津村(円江[つぶらえ]・津村郷[つむらごう])に移す。

1598(慶長3)年

大坂津村御坊移徒(わたまし・遷座)法要、准如上人が赴く。

1602(慶長7)年

徳川家康、教如上人に京都東六条の地を寄進、東本願寺の別立。

江戸時代、津村御坊の変遷

1605(慶長10)年

大坂に御坊再興。この頃から留守居役を置く。

1611(慶長16)年

宗祖三百五十回忌を修する(大坂御坊での初の大遠忌)。
「大坂御堂筋」の初見(大坂夏の陣の落人狩りなどを記録した徳島藩の『大坂濫妨人落人改之帳』)。

1617(元和3)年

①朝鮮使節一行、津村御坊坊舎に宿泊。(日本統一の祝賀/将軍:徳川秀忠)

1624(寛永元)年

②朝鮮使節一行、津村御坊坊舎に宿泊。(家光襲職の賀/将軍:徳川家光)

1636(寛永13)年

③朝鮮使節一行、津村御坊坊舎に宿泊。(泰平の賀/将軍:徳川家光)

1643(寛永20)年

④朝鮮使節一行、津村御坊坊舎に宿泊。(家綱誕生の賀/将軍:徳川家光)

1655(明暦元)年

⑤朝鮮使節一行、津村御坊坊舎に宿泊。(家綱襲職の賀/将軍:徳川家綱)

1658(明暦4)年

坊舎に宗祖・蓮如二尊の影像を安置する。

1661(寛文元)年

第13代良如上人・寂如上人、津村御坊で宗祖四百回忌を修す。

1694(元禄7)年

津村御坊二尊堂落成。(第一次境内地拡張)

1696(元禄9)年

二尊堂焼く。二尊堂の再建を図り寺地を拡張。

1699(元禄12)年

津村御坊再興慶讃法要。

1711(正徳元)年

⑥朝鮮使節一行、津村御坊坊舎に宿泊。(家宣襲職の賀/将軍:徳川家宣)

1719(享保4)年

⑦朝鮮使節一行、津村御坊坊舎に宿泊。(吉宗襲職の賀/将軍:徳川吉宗)

1722(享保7)年

津村御坊二尊堂(蓮如堂)落成。

1724(享保9)年

3月21日、大坂(享保)大火により津村御坊焼く。(大坂3分の2焼失、大阪の歴史上最大の大火)
津村御坊仮殿落成。本尊、復座。(第二次境内地拡張/5488坪)

1734(享保19)年

第15代住如上人・湛如上人、津村御坊再興・遷仏の儀を修す。
津村御坊、等身御影を授かる。

1748(延享5)年

⑧朝鮮使節一行、津村御坊坊舎に宿泊。(家重襲職の賀/将軍:徳川家重)

1756(宝暦6)年

第17代法如上人、津村・堺・尾崎・久宝寺別院で、宗祖五百回忌を修す。

1764(明和元)年

⑨朝鮮使節一行、津村御坊坊舎に宿泊。(家治襲職の賀/将軍:徳川家治)

1810(文化7)年

津村御坊、宗祖五百五十回忌を修す。

1846(弘化3)年

二尊堂再建。

1860(万延元)年

第20代広如上人、摂津・河内・和泉等の別院に赴き、宗祖六百回忌を予修。

明治から昭和へ、近現代の大阪と津村別院

1868(明治元)年

征討大将軍仁和寺宮嘉彰(よしあき)親王、津村別院を本営として進駐。
1月22日、大阪鎮台(大阪府の前身)が設置され、その営所が津村御坊に仮設される。
3月23日、明治天皇、大阪行幸し津村御坊に入る。行在所(仮皇居)となる。
徳如上人・明如上人、奉迎。

1872(明治5)年

5月28日、明治天皇、津村御坊に行幸。
5月30日、天皇、京都御所に向け出発。
6月4日、天皇、西国巡幸。津村御坊で休泊。

1873(明治6)年

大阪府病院、津村御坊へ移転。本堂を除く、ほとんどの建物を同病院に貸与。

1876(明治9)年

津村別院と改められる。

1878(明治11)年

9月2日、津村別院にて大阪商法会議所、第一回総会が開催。五代友厚が初代会頭に選出。

1879(明治12)年

大阪府病院、中之島へ移転し、貸与の建物返却。
5月1日、第1回大阪府議会開催。

1888(明治21)年

相愛女学校、津村別院境内に開校。

1911(明治44)年

第22代鏡如上人、津村別院に赴き、宗祖六百五十回忌法要を修す。

1927(昭和2)年

大阪都市計画による御堂筋拡張のため境内地を提供する。

1929(昭和4)年

由井卯三郎、大阪城内に蓮如上人碑を建立。

1930(昭和5)年

地下鉄工事のため、津村別院境内正面切取工事に着手。

1933(昭和8)年

伝燈奉告慶典記念事業として大阪北御堂診療所(低料金診療所)を開く。

1937(昭和12)年 

御堂筋拡張工事完成。

1945(昭和20)年

3月14日、大阪大空襲により、津村別院全焼。

戦後の復興と再建、そして今へ

1951(昭和26)年

津村別院、仮本堂建立。

1954(昭和29)年

6月9日、津村別院、仮本堂焼失。

1964(昭和39)年

津村別院、新本堂再建。
第23代勝如上人、津村別院落成慶讃法要を修す。

1966(昭和41)年

第1回御堂まつり、南北両御堂を中心に行われる(のち御堂筋パレードとなる)。

1972(昭和47)年

御堂筋に「北御堂」の大看板完成する。

1974(昭和49)年

勝如上人、親鸞聖人七百回忌・誕生八百年・立教開宗七百五十年慶讃の三法要を挙行す。

1978(昭和53)年

津村別院に於いて、第1回無料法律相談所、開かれる。

1979(昭和54)年

北御堂人生相談所開所式、津村別院に於いて挙行さる。

1983(昭和58)年

津村別院三大法要を修行す。
(津村別院住職継職法要・蓮如上人顕彰記念法要・再建20年記念法要)

1991(平成3)年

本願寺第11代顕如宗主四百回忌・殉難者追悼御親修法要を修行。

1992(平成4)年

津村別院納骨堂落成法要を修行。
阪神淡路大震災に対応し、遺骨保管特別措置を実施。

1997(平成9)年

蓮如上人五百回遠忌法要・大坂坊舎建立五百年記念法要修行。

1998(平成10)年

蓮如上人御祥月法要並びに蓮如上人名号碑周辺整備竣工記念法要を修行。
関西経済界聞法のつどい、「北御堂いちょうの会」を発会。

2006(平成18)年

本願寺津村別院発行 月刊誌『御堂さん』通算五500号発刊。
東日本大震災追悼法要を修行。

2012(平成24)年

親鸞聖人七百五十回大遠忌法要記念事業として改修工事始まる。

2013(平成25)年

大阪市中央区の水害時避難施設として指定される(民間施設としては初)。
御本尊修復・調査を実施。本堂改修工事完了に伴う御遷仏法要を修行。
津村別院親鸞聖人七百五十回大遠忌法要を修行。

2017(平成29)年

大阪会館の建物・借地権の取得。耐震補強工事を行う。

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