つまづいたおかげで
父と一緒に出かけた時のことです。私たちの前を一見して障害者と思われる男の人が歩いていました。真冬だというのに着ているのはTシャツ一枚。寒そうに身体をこごめて歩いています。「かわいそう…」と同情するだけの私。でも父は、その人に近寄ったかと思うと、自分の着ていたジャケットを脱いで肩にかけたのです。その行為は本当に自然に行われました。家に帰ってから母にしかられていた父。でも父はポツンと言ったのです。「冬は誰でも寒いのだから」なんだか嬉しくて、とてもおかしい一言でした。この言葉に反論できる人は一人もいません。「父はすごい」…そう思いました。他人の痛みをそのまま自分の痛みとして感じてしまう父。こんな父をもったことを誇りに思いました。そしてこの一言は、浪人中の私のモヤモヤをふきとばしてさわやかにしてくれました。
確かに私は、ほとんどの中学生が進学する高校に落ちた。でもそれはささいなこと。「冬は誰でも寒いのだから」…大自然の中では人間はみんな同じ者。目先の事にくよくよしないで悲願しないで、もっと広々と考えよう。私に歩み出す力を与えてくれた頼もしい父の一言であった。父の体温を保ったジャケットは、あの人にも、きっと温かったことでしょう。
この作文は近江同盟新聞の8月17日号に載せられたものです。
志望する高校に落ちて暗い浪人生活をしていた作者は、ふとした父の姿を通して父の温かさそして大きさを感じ、その生き方を学んだことでしょう。
人は、挫折や苦労を通して少しずつ人生の重さを知り、おおきくなっていきます。何かにつまずいたとき、初めて自分自身を見つめることが出来ます。そして、その時に自分の周りにいる人の存在に気付きます。
けつまづいて 心くじけて わたしはここで 正味の自分に会いました
(榎本栄一)
人は人生につまづいたとき、本当の自分を知ることができるのかもしれません。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
NHKの小学生向けのテレビドラマの中に、こんなお話がありました。
給食の献立がカレーの日のことです。先生が一通の手紙を読みました。
「ぼくは、北海道に住む、君達と同じ小学生です。このじゃがいもは、ぼくの両親がいっしょうけんめいつくりました。ぼくも、しゅうかくの時には、お手伝いをします。ぼくたちのつくったじゃがいもを食べてくれてありがとう。」
これは、給食センターに運ばれてくるじゃがいもの箱の中に入っていた手紙です。
これをきっかけに、クラスの生徒たちで、このカレーの中には、どんな材料が入っていて、それは、どこでつくられたものかを調べることにしました。
お米は秋田県、牛肉は熊本県、じゃがいもは北海道、にんじんは山梨県、玉ねぎは大分県、カレー粉は遠くインド…。
何気なく食べていたカレーが、たくさんの人の手によって作られていたことに気づき、食べ物の大切さを知るというお話でした。
では、私たち人間はどうでしょうか。一人で生まれて、一人で大きくなった人はいるでしょうか。あなたのお父さんとお母さん、おじいちゃんとおばあちゃん、そのまたひいおじいちゃんとひいおばあちゃんとたどっていくとたくさんの人の命の中から、たった一人のあなたが生まれてくるのです。そして生まれてからも、多くの人のお世話になって生きていきます。あなたの命もともだちの命も同じ大切な命です。
近ごろ、いじめが悪質になり、ひどいときは、命を落とす事件まででています。
どうか自分の命を大切にすると共に、ともだちの命も大切にできる子供になって下さい。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
最近は、子供をおんぶして仕事をしたり、買物をしているお母さんを見かけなくなりました。ベビーカーや紙おしめなど便利なものが普及し、子育てまでスマートに出来るようになってしまったように思います。はたして、子と母の関係までスマートになってはいないだろうか。
兵庫県で光明幼稚園を経営されておられる堀善昭先生が、著書「三つ子の魂百まで」の中に〈恩愛〉についてかいておられます。
『母親と子供をつなぐ絆は恩愛の絆である。父と子の絆、夫婦の絆、兄弟姉妹の絆、世間との絆といったそれぞれの絆には無論恩愛はともなうが、母と子の恩愛に勝てるものはなく、それは切っても切れないものである。
あたりまえの話だが子は親を持たねば生まれることが出来ない。決して自分一人が独自に生まれてきたわけではない。そこに「恩」がある。一方、親の方も子を生したことによってそのまた親の恩を返す。同時にわが子を得た喜びをかみしめ子から放射する愛らしさを享受する。そこにはまた形を変えた「恩」が存在する。恩愛という言葉を現代ふうにいいかえれば「思いやり」となるかもしれない。しかし「思いやり」という言葉のイメージは恩愛と比べあまりにも浅く淡白で一方的な負担のように解されてしまいがちにならないだろうか。すなわち「思いやり」の心では人間の持つ利己心や自己中心的な〈我執〉〈自我〉をなかなか押さえきれず、もうひとつ突っ込んで母子間の愛情を実行に移せないのではないか。』
自然に対する畏敬の念を忘れたら、地球環境が破壊されるように、親が恩愛を忘れたら、子ども達の心が破壊されてしまうと思います。
恩愛は仏様のお慈悲のように何もかも包み込んでしまうあたたかさがあります。
恩愛、それは無償の心を持って子どもに接するとき自然に母親から出てくるもののような気がします。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
H君は1歳6ヶ月です。最近は言葉も随分覚え、保育園の人気者なのです。彼がいちばん最初に覚えた言葉は、多分「あーがとう」(ありがとう)だったように思います。H君のお母さんは、いつも夕方5時半頃迎えにこられます。2・3日前のことでした。彼はおかあさんに抱っこしてもらって、当番の先生に「あーがとう」といいました。「ありがとう!さようならまた明日元気で来てね」
先生はニコニコしながら、H君の手をにぎったまま、お母さんに話しかけました。
「この頃、『あーがとう』が上手に言えるようになりましたね」
お母さんはH君の頭をなでながら、とてもうれしそうです。
「おうちでも、『あーがとう』『あーがとう』って、どんな時でも『あーがとう』なんですよ。だからね私『あーがとう』いわなくてもいいよっていってるんです。」そばにいた私は、思わず声を出しました。「へぇーそらまたどうして?」
「だって親子でしょう。みずくさいっておもうんですよ」これには驚きました。「ありがとう」や「ごめんなさい」は人と人をつなぐ大切な言葉です。言わなければならない時には教えもし、言えたらほめてあげる。何よりも大人の方から子供に「ありがとう」を言うことです。それは人間が人間に育つための大切な条件でもありましょう。私はお母さんに心をこめて説明しました。「そうなんですか、私、勘違いしてました。これからは気をつけますわ。ありがとうございました」親子はうれしそうに抱き合って、薄明かりの町へ帰っていきました。
丁野恵鏡師「育てあうこころ」より
子供は親の鏡です。子供は知らず知らずのうちに、言葉や態度など生活習慣の細かいところまで、お母さんそっくりになっていきます。
「ありがとう」や「ごめんなさい」が、親子の間でも素直に言えるようになれば、お互いに相手をよく理解し、認めあう世界が開けてきます。
家庭教育とは、お父さん、お母さんが子供を育てるという行為を通して、実は自分自身を見つめ直すことではないでしょうか。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
リリー・アン・ジェリー(53歳)
ケニアの首都ナイロビの孤児院で20年看護婦をしている。
いつも百人近い子供と暮らし、状態の良くない子供たちを育ててきた。
へその緒をつけたまま捨てられていた子、アルコール中毒の母親が育児をせず、4ヶ月で体重が2キロ足らずしかなかった双子、みんなリリーの腕の中で大きくなり、笑顔が生まれた。
キョロキョロする疑い深い目、だっこを続けると、目がだんだん落ち着いてくる。リリーと孤児の目が一直線に結びつく時間がしだいに長くなる。そして笑う。
「アイ・コンタクト」
二つの心が通いあう瞬間をこう表現した。(朝日新聞の日曜版より)
これを読んだ時、先々代の住職が門徒の方に「仏様を拝む時は仏様をまっ正面に見て拝みなさい」とおっしゃられたと母から聞いたことを思い出しました。
「迷い」という字は、しんにゅうに米と書きます。しんにゅうは道を表わします。米と言うのは自分のすすむべき道を見失って、どちらを見てすすんだらよいかわからずに上にいこうか下に行こうか、それとも右に進もうか、やっぱりななめにしようかとキョロキョロしている状態を言うのです。
心が不安になって動揺している時、信じることができない時、私達は、どこに目を向けていいのかわからずにいます。そんなときこそ仏様の方をまっすぐ向けば必ず心の通じあう瞬間があるのです。
なぜなら、仏様は、このリリー・アン・ジェリーのように私達を救うために、いつも目をそらさず見ていてくださるのだから…。
仏様との「アイ・コンタクト」これがお念佛です。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
いい日だ つつじのはなのむこうを 老人が歩いていく
赤ん坊をおぶっている足どりも軽やかだ
右足 左足 右足 左足
あっ 片足でたった おっ 半ひねり
すごいなあ ひとがあるくって
私も前は あんな見事な技を こともなく
毎日やっていたのか
この詩は星野富弘さんの詩です。星野さんは、群馬県の中学校に体育の先生として赴任したものも束の間、体操の指導中に首の骨を折ってしまいました。それ以来、手足の自由を奪われ9年間の入院生活の後、治らないままに退院することになりました。
手足が動かないということは、今までの生活のすべてを失うことのように思えました。学校もやめ、恋人も去りました。歩くこともできません。自分で食べることもできません。自分一人では、生きることもできません。絶望の生活が続きました。自分の世話をしてくれる母親や兄弟に当たり散らしたこともありました。死にたいと思ったこともありました。
しかし、夜があるから朝がまぶしいようにつね失ったとき初めてその価値に気づくことがあります。何気なく動かしていた指、あたりまえのように歩いた足、しかし、眼に見えるよりも、もっともっと大切なものがありました。自分の力だけで生きていると錯覚していた小さな自分が、実は、大いなるものによって生かされていたことに気づかされたのです。私たちがふだんあたりまえのように思っていることが、決してあたりまえではないことを教えてくれています。ふだん何気なく見過ごしてしまいそうな花も、私たちと同じように、一生懸命生きていることを教えてくれます。
私たちも、自然の中から聞こえてくる声に耳を傾ける心を取り戻したいものです。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
お育てをうける 私が私になるために 人生の失敗も必要でした
むだな苦心もほねおりも悲しみも
すべて必要でした
私が私になれた今 みんなあなたのおかげです
恩人たちに手をあわせ
ありがとうございましたと
ひとりごと
をさ・はるみ
「お育てをうける」という言葉があります。
たまにゆっくりした時間があると、今までお世話なった人のことを思い出します。人生の分岐点と思われるときには、必ずと言っていい程お世話になった方々との出会いがありました。
今から10年ほど前、毎月1回、6年間にわたって私の未熟な話をあたたかく聞いて下さったお寺があります。
毎月第1木曜日の夜、婦人会の例会に招かれ、16ミリ映画を写したり、お勤めの練習の後、30分ほどの法話をさせていただきます。はじめのうちはきちんと原稿を書いておりましたが、毎月となるとやがて法話の題材もなくなり、一夜漬けの話をさせてもらうのもしばしばです。今思い出しても、恥ずかしくなるような私の話をいやな顔もせず聞いて下さった婦人会の方々には本当に頭が下がります。
「細く長くおつきあいをさせてもらいます。」との坊守さんの言葉に甘えてながい間育てていただきまし。今でもご法話をするたびにあの頃のことをなつかしく思い出します。
「弥陀五劫思惟の願いをよくよく案ずるに親鸞一人がためなりけり」
一人で生きていると思っていた私に、生かされて生きていることを教えて下さった方々の顔を思い出すとき、恩人たちに手をあわせありがとうございましたと、ひとりごと。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
ふり返ってみると、今の自分があるためには欠くことのできない人との出会いがあります。
私は、予備校、大学と住み込みの新聞配達をしながら学校へ通いました。新聞販売所には 7 人の仲間と優しくていつもにこにこしている奥さん(おばちゃん)と、たぬきというあだ名の短気な所長(おじちゃん)がいました。
短気なおじちゃんは、いつも大きな声で怒鳴ってばかり、それをなだめてくれるのがおばちゃんの役目でした。
毎朝4時半になると、金属バットをもって私たちを起こして回ります。「おい、いつまで寝てるんだ。起きろ」といわれてすぐに、ドアをあけて返事をしなければ、バットでドアをたたきます。私たちの部屋のドアはすでに何ヶ所か穴があいていました。
「何もあんなに怒鳴らんでもよかろうに」と、みんなは腹をたてつつ配達にでるのが日課になっていました。
5年が過ぎて、大学を卒業するとき、おじちゃんが優しい顔でいいました。「親御さんからあずかった君達を、無事親の元へお返しすることが出来たことが何よりうれしい。」
もしおじちゃんが怒鳴らなかったら私たちは寝ぼけ眼のまま配達にでて、交通事故を起こしたかもしれません。
おじちゃんもおばちゃんも私たちが配達を終えて帰ってくるまで、ずっと心配しながら待っていてくれました。そのことを知らずに、腹をたてていた私たちを、おばちゃんがなぐさめたり、はげましたり、そして、いつでもおいしい食事をつくって待っていてくれました。まさに親の心子知らずです。
私が、今何とかがんばっていけるのもあなたのおかげです。
お念佛によってたくさんの「おかげさま」を知らせていただきました。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
私の37回目の誕生日の日のことです。
2日前に熊本にいる両親からは蜜柑が届いていましたので、お礼もかねて久しぶりに電話をしてみました。
呼出のベルが1回なっただけで、すぐに母が電話にでたのでびっくりしていると、どうやら母もわたしに電話をしようと思っていたところだったというわけです。
毎日の生活に追われ、両親のことを考える余裕すらなかった私にひきかえ、母はいつもいつも私のことをおもってくれていたんだなぁと気づかされた時、とても幸せな気持ちになりました。
生まれ故郷の熊本と、ご縁があって入寺した滋賀県の彦根と、何百キロも離れた場所なのに、ちゃんと気持ちが通じあう。これはすごいことだと思いました。
おもえばいつもふりむいたとき、母がいてくれたような気がします。高校時代から親元を離れて一人暮らしをはじめた私にとって、何かを決めるとき、不安になったとき、病気になったとき、いつも電話の向こうに母の姿がありました。
そして、誕生日には、私の好物のゆで卵のまるごとはいったコロッケとかき玉汁をつくってくれた母。
あるお寺の掲示板にこんな言葉がありました。
「もろびとよ 思い知れかし おのが身の 誕生の日は 母 苦難の日」
そうなんです。毎年おめでとうと祝ってくれる私の誕生日は、私を産んでくれた母にとって命がけの苦難の日でもあったのです。
お母さん、私を産んでくれてありがとう。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より
最近、おかげさまという言葉が消えつつあるように思います。
おかげさまは漢字で書くと「お陰様」。
木があればその下に陰が出来、この陰があることで雨や暑さをしのぐことが出来るので、お陰様で雨がしのげましたという感謝の気持ちがわいてくるのです。
諸法無我。世の中のものはすべて単独で存在するものはなく、お互いに関わりあって存在します。
「俺は一人で生きている。」とどうがんばってみても、それは単なるエゴ(利己主義)でしかありません。朝起きて夜寝るまで、いや寝てる間も、わたしのためにはたらき続けています。
お陰様という言葉は今こうしておいしい食事をいただいているのは、野菜を作って下さった人、お米をつくって下さった人、そして料理をつくって下さった人への感謝の気持ちにつながるのです。
おかげさま、ありがとう、すみません、もったいない。
私たちのまわりには、仏教思想の影響をうけて、生活の中でながい時間をかけてうまれたすばらしい言葉がたくさんあります。
「隣は何をする人ぞ」などと、マンションの隣には誰がすんでいるのかも知らないような現代。
しかし、私たちが生きているしくみは昔と少しも変っていないように思います。
人の悪口やうわさばなしに多くの言葉を使うより、心のこもった一つの言葉をおしまないでおきましょう。
「おかげさま」
この言葉に私たちの気持ちを込めて、若い世代に伝えていきたいものです。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より


