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法語を味わう(32)

2020年9月

お ら に
 苦
   苦がないだけのう
       (因幡の源左同行)
 人間、生きていますと、いろいろ思い通りにならないこと、苦になることは無くならないようです。しかし、妙好人 源左さんは「苦があって苦がない」と言われています。これは、日常的な苦はあっても、それより深い苦は阿弥陀さまにお任せしているので自分には無いと言われているのでしょう。源左さんは若い頃、牛に重い草の束をいくつも担がせて、自分が楽になった時、罪悪深重・煩悩具足の自分も阿弥陀さまにおまかせすれば楽になると知り、お念仏が出るようになったそうです。それから「ようこそ、ようこそ、なんまんだぶ」とお念仏を喜ばれました。御恩報謝のお念仏を申す中に、苦しみも感謝に転じられ、「苦があって苦のない」生活を送ることができたのでしょう。

          (本願寺派布教使 比良祐之)

朝のお経を 
 共にあげましょう
生まれてこられた
 お   

私が生まれてきた訳は 父と母に出会うため
私が生まれてきた訳は きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は 友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は 愛しいあなたに出会うため
春来れば 花自ずから咲くように
秋来れば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ

さだまさしさんの歌「いのちの理由」の歌詞の一節です。父母を縁に生まれてきた私、二十代さかのぼると二百万人を超すご先祖のご縁の連鎖が積み重なって生まれてきた私。朝のお勤めに参加し、共にお経をあげましょう。み仏さまのみ教えにであえた喜びと、生まれてこられたお礼に・・・
                                                                                                                                  (津村別院輪番 山階昭雄)

木の陰や
 蝶と休むも
 他生(たしょう)の縁(小林一茶)

この句の「他生」は生まれる前の世界「前生」を示します。一茶は木かげに休み、「一時一瞬の蝶との出あいも、前生にて縁のあったことよ」と感慨にふけっていたのです。
さて、親鸞聖人は「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし たまたま行信を獲ば 遠く宿縁を慶べ」と何度も生死流転の迷いの生涯を繰り返してきたが、この度、阿弥陀さまのご本願に出あえ、真実の行と信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ」と語っておられます。私たちは今であっている家族、友人、知人にどれほどの不思議さとご縁を感じているでしょうか。そして手を合わす身にお育て下さった仏さまのご縁もどれほど深く味わっていることでしょうか。

今一度、ご一緒に考えてみましょう。

(本願寺派布教使  胤 (きよたね こうえい)

甘露(かんろ)の雨降る北御堂
渇いたこころに法(みのり)の雨
阿弥陀…阿弥陀はここよ
阿弥陀に喚(よ)ばれて
  西へ歩く
(『雨の御堂筋』の節で)

 いつも北御堂に参ると、なぜか欧陽菲菲さんの『雨の御堂筋』の歌のフレーズが頭をよぎります。
 毎日の生活、お仕事、お疲れ様です。その疲れた、渇いた心を法の雨で潤してあげてください。法とは、阿弥陀さまという仏さまのお救いの法です。阿弥陀さまは、「南無阿弥陀仏(ナマンダブ)」という声(ことば)の仏さまになって、私たち一人ひとりの今、ここに届いてくださっています。「南無阿弥陀仏」とは阿弥陀さまが「あなたを守っています。あなたを救います。あなたを忘れないよ。あなたを捨てないよ」というおことばです。「ナマンダブ」と気軽に称えてみてください。
 阿弥陀さまとともに歩む人生は、同時に、阿弥陀さまの国である西方浄土への歩みでもあります。
 心が渇いてるな、と思ったら、ぜひ北御堂へ。

(本願寺派布教使 津守 秀俊(つもり しゅうしゅん))

「親子(おやこ)の年齢(ねんれい)は同(おな)じです」
エッ?
どうして?

 親(おや)が子(こ)を産(う)むのではありません。子(こ)どもが生(う)まれると同時(どうじ)に親(おや)になる(親(おや)の誕生(たんじょう))のです。ですから親子(おやこ)の年齢(ねんれい)は同(おな)じなのです。
 何人(なんにん)の子(こ)どもが生(う)まれても、その子(こ)の親(おや)になるのですから、やはり同年(どうねん)齢(れい)となるのです。ナルホド!! 
 同(おな)じように弟(おとうと)が生(う)まれて兄(あに)・姉(あね)になり、妹(いもうと)が生(う)まれて姉(あね)・兄(あに)になるので、兄(あに)・弟(おとうと)・姉(あね)・妹(いもうと)も同年(どうねん)齢(れい)です。
 さらにお孫(まご)さんが生(う)まれると同時(どうじ)にお祖父(じい)ちゃん・お祖母(ばあ)ちゃんの誕生(たんじょう)です。ですから祖父母(そふぼ)とお孫(まご)さんも同年(どうねん)齢(れい)です。ナルホド!!
 このような考(かんが)え方(かた)は、お釈迦(しゃか)さまが悟(さと)られた『縁起(えんぎ)』の思想(しそう)です。「彼(かれ)あるが故(ゆえ)に、これあり」「彼(かれ)生(しょう)ずるが故(ゆえ)に、これ生(しょう)ず」とお示(しめ)しいただいたように、私(わたし)たちはお互(たが)いに持(も)ちつ持(も)たれつの存在(そんざい)なのです。
 自分(じぶん)一人(ひとり)で存在(そんざい)するのではなく多(おお)くの「因(いん)」と「縁(えん)」に支(ささ)えられた私(わたし)の「いのち」なのです。

(本願寺派布教使 藤井 邦麿(ふじい くにまろ))

如来大悲(にょらいだいひ)の
恩徳(おんどく)は
身(み)を粉(こ)にしても
報(ほう)ずべし

「如来大悲(にょらいだいひ)の恩徳(おんどく)は 身(み)を粉(こ)にしても報(ほう)ずべし」
 これは親鸞聖人(しんらんしょうにん)が八十五歳(はちじゅうごさい)の時(とき)におっしゃったお言葉(ことば)です。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)は世(よ)の中(なか)が大変(たいへん)な混乱(こんらん)が続(つづ)く時代(じだい)にお生(う)まれになり、それはそれは言葉(ことば)に表(あらわ)せないほどのご苦労(くろう)を重(かさ)ねられたご生涯(しょうがい)でありました。
 その中(なか)で、釈尊(しゃくそん)(お釈迦(しゃか)さま)から印度(インド)・中国(ちゅうごく)の高僧(こうそう)がた、そして日本(にほん)の法然聖人(ほうねんしょうにん)を通(とお)してご縁(えん)をいただいた阿弥陀(あみだ)さまのお慈悲(じひ)は私(わたし)に向(む)かって限(かぎ)りなく慈(いつく)しみ、私(わたし)の心(こころ)の奥底(おくそこ)まで見抜(みぬ)かれ、共(とも)に泣(な)いて、どんなことがあろうとも、寄(よ)り添(そ)ってくださっているお慈悲(じひ)でありましたと慶(よろこ)ばれたのでありました。

(本願寺派布教使 大竹 輝道(おおたけ きどう)

凾 蓋 相 応 (かん がい そう おう)
 衆生(しゅじょう)の機(き)は凾(ごん)の如(ごと)く、
如来(にょらい)の本願(ほんがん)は蓋(ふた)の如(ごと)し

 日渓法霖和上は阿弥陀さまのお救いは「凾蓋相応の要法」と言われます。
 器を作るとき、蓋に合わせて凾を作るということはありません。最初に凾を作って、凾が四角ならば蓋も四角、凾が六角ならば蓋も六角というように凾に応じて蓋を作ります。
 今、私は凾の如く、如来の本願は蓋の如しと譬えられます。私という凾には、怒りの角や欲の溝があります。そして悲しみや寂しさで凸凹です。
しかし、その私の為にこそ本願の蓋は仕上がりました。
 浄土真宗は私が阿弥陀さまに合わせるお救いではなく、阿弥陀さまが私に合わせてくださるお救いです。阿弥陀さまはこの凸凹の命の真只中に、はじめから「まかせよ、そのまま救う」とご一緒くださいます。

【出拠 梅原眞隆和上編『先哲語録』】
(本願寺派布教使 蓮谷 啓介)

人生(じんせい)には三(みっ)つの坂(さか)がある
 一(ひと)つは上(のぼ)り坂(ざか) 
 一(ひと)つは下(くだ)り坂(ざか)
そしてもう一(ひと)つ・・・真逆(まさか)

 この度(たび)の台風(たいふう)十九号(じゅうきゅうごう)で被災(ひさい)された方(かた)には心(こころ)からお見舞(みま)い申(もう)し上(あ)げます。
 私(わたし)の寺(てら)は長野県(ながのけん)の千曲川(ちくまがわ)の決壊現場(けっかいげんば)の近所(きんじょ)にあり、災害当日(さいがいとうじつ)は避難先(ひなんさき)で不安(ふあん)な夜(よる)を過(す)ごしました。寺(てら)は無事(ぶじ)でしたが、決壊現場(けっかいげんば)の対岸(たいがん)に一人暮(ひとりぐ)らしのお婆(ばあ)さんがいたので心配(しんぱい)になって電話(でんわ)をしました。すると、そのお婆(ばあ)さんは避難(ひなん)をせず、なんと電話(でんわ)に出(で)られたのです。
 「お婆(ばあ)ちゃん避難(ひなん)しなかったの?」と聞(き)くと、「怖(こわ)かったよ。玄関(げんかん)に水(みず)が入(はい)ってドアが開(あ)けられないのよ」と言(い)いました。道路(どうろ)は封鎖(ふうさ)されすぐには行(い)けません。水(みず)が引(ひ)いてから駆(か)けつけると、お婆(ばあ)さんは涙(なみだ)を浮(う)かべて「まさか こんなことになるなんて。次(つぎ)は必(かなら)ず避難(ひなん)するよ。」と言(い)ったのです。
 善導大師(ぜんどうだいし)は『往生礼讃偈(おうじょうらいさんげ)』に「如灯風中滅難期(にょとうふうちゅうめつなんご)」とお示(しめ)しくださいました。その意味(いみ)は「命(いのち)の灯(ともしび)は、風(かぜ)にさらされればいつ消(き)えてしまうかわからない」という意味(いみ)です。この度(たび)の災害(さいがい)で、厳(きび)しい教訓(きょうくん)をいただいたことでした。

(本願寺派布教使 嶋倉 崇雄(しまくら たかお))

もしあなたが
幸(しあわ)せにならないなら
私(わたし)は幸(しあわ)せにならない
絶対(ぜったい)に

 伊藤忠商事(いとうちゅうしょうじ)、丸紅(まるべに)の創業者(そうぎょうしゃ)である伊藤忠兵衛(いとうちゅうべえ)をはじめ、近江商人(おうみしょうにん)はお念仏(ねんぶつ)の教(おし)えを大切(たいせつ)にされ、その経営理念(けいえいりねん)は「売(う)り手(て)よし買(か)い手(て)よし世間(せけん)によし」の「三方(さんぼう)よし」だったそうです。 
 これは仏法(ぶっぽう)を聴聞(ちょうもん)されて、阿弥陀(あみだ)さまのお心(こころ)が「あなた(衆生(しゅじょう))が幸(しあわ)せにならないなら、私(わたし)は幸(しあわ)せにならない」という願(ねが)い(度(ど)衆生心(しゅじょうしん))であるといただかれた姿(すがた)でした。
 今(いま)の世(よ)の中(なか)は残念(ざんねん)なことに「三方(さんぼう)よし」ではなく「今(いま)だけカネだけ自分(じぶん)だけ」の価値観(かちかん)が幅(はば)をきかせ、キズつき踏(ふ)みつけられて苦(くる)しむ人(ひと)が増(ふ)えています。今(いま)こそお念仏(ねんぶつ)の教(おし)えを大切(たいせつ)にし、実践(じっせん)された大阪(おおさか)の商人(しょうにん)たちの生(い)き方(かた)に学(まな)ぶ時(とき)ではないでしょうか。

(本願寺派布教使 栗山宣雄(くりやま せんゆう))

散(ち)ると見(み)たのは
 凡夫(ぼんぶ)の目(め)
木(こ)の葉(は)は大地(だいち)に
還(かえ)るなり

 木(こ)の葉(は)は時期(じき)が来(く)れば散(ち)ってゆきます。しかし、もともと生(う)まれ出(で)た大地(だいち)へ還(かえ)ってゆくのが真実(しんじつ)の姿(すがた)です。
 私(わたし)ども人間(にんげん)も、いのち終(お)えて、終(お)わりではなく無量寿(むりょうじゅ)の世界(せかい)へ還(かえ)ってゆくのです。
 「死(し)ぬと見(み)たのは凡夫(ぼんぷ)の目(め)、いのちは浄土(じょうど)へ還(かえ)るなり」という世界(せかい)が味(あじ)わえてくるのが仏(ほとけ)さまの教(おし)えです。
 死(し)んで終(お)わりではなく、いのちのふるさと、お浄土(じょうど)へ還(かえ)ってゆける人生(じんせい)が、お念仏(ねんぶつ)によって開(ひら)かれます。

(本願寺派布教使  古山 款夫(ふるやま よしお))

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