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法語を味わう(12)

私がつくった
「安心」は
いともたやすく
崩れゆく

私(わたし)がまだ学生(がくせい)の頃(ころ)、「わたしゃ阿弥陀(あみだ)さまがご一緒(いっしょ)だから安心(あんしん)よ」と仰(おっしゃ)るご門徒(もんと)さんがおられました。しかし、それを聞(き)いても何(なに)が安心(あんしん)なのか分(わ)かりません。自分(じぶん)の心(こころ)模様(もよう)ばかり気(き)になって、安心(あんしん)なんてできませんでした。

浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)のお救(すく)いは私(わたし)が安心(あんしん)した「から」、喜(よろこ)べるようになった「から」、称(とな)えた「から」救(すく)われる訳(わけ)ではありません。「から」はこちら側(がわ)につけるのではありません。阿弥陀(あみだ)さまが私(わたし)のために長(なが)い間(あいだ)ご苦労(くろう)されて、私(わたし)が救(すく)われるすべてをととのえてくださった「から」私(わたし)は救(すく)われてゆくのです。この「から」は向(む)こうさまにつくのです、と教(おし)えていただきました。 すべてをご用意(ようい)くださった阿弥陀(あみだ)さまの胸(むね)の中(なか)で、ほんとうの「安心(あんしん)」をいただくのです。

(本願寺派布教使 宗 秀融(そう ひであき))

死にたくはない
未練はある
でも不安はない
行き先がある

家(いえ)の者(もの)に行(ゆ)く先(さき)を告(つ)げて来(き)たか。黙(だま)って出(で)たなら家出(いえで)となり、分(わ)からぬまま出(で)るのを徘徊(はいかい)という。船(ふね)は大海原(おおうなばら)に漕(こ)ぎ出(だ)すとき、かならずかえる港(みなと)をもって出航(しゅっこう)する。かえる港(みなと)をもたない船路(ふなじ)は遭難(そうなん)となり、いずれ漂流(ひょうりゅう)となる。

人生(じんせい)という家(いえ)を出(で)るとき、私(わたし)には行(ゆ)く先(さき)がある。それはアミダさまのお浄土(じょうど)である。アミダさまは大(おお)きな願(ねが)いのふねとなり、私(わたし)をこの娑婆(しゃば)世界(せかい)から彼(か)の岸(きし)、お浄土(じょうど)へとわたしてくださる。  

迷(まよ)いの海(うみ)に沈(しず)む私(わたし)を抱(だ)きかかえ、ともにお浄土(じょうど)へ向(む)かって仏(ほとけ)となる人生(じんせい)を歩(あゆ)もうとよんでくださる声(こえ)がナモアミダブツである。お念仏(ねんぶつ)に出(で)遇(あ)った人生(じんせい)は、一日(いちにち)一日(いちにち)がお浄土(じょうど)へと進(すす)む、確(たし)かな一歩(いっぽ)となる。

(本願寺派布教使 松月英淳(まつづき えいじゅん))

かならずかならず
一つところへ
まゐりあふべく候ふ

昨年、小学校時の恩師の奥様が八十一年の人生を終えられました。

恩師はご兄弟が多く、それまでも大切な人との別れを何度も経験されています。

「今まで両親を送り、兄も姉も送り、人は必ず死んでいくことは知っています。妻は長い間病に伏せていましたし、別れがあると自分に言い聞かせました。しかし、この度は辛かった。人のいのちの重さに違いがあってはならないはずなのに、この度は本当に辛かった」と。

ときに人は、頭で理解していることと感じることが異なることがあります。どうしても受け入れ難い現実に涙することがあります。

その人の心情を察してくださった親鸞聖人の温かいお言葉でありましょう。

お念仏申させていただく日暮らしの中で、私たちはお浄土(一つところ)へ参らせていただき、先立っていかれた方々にかならず出あうことができる、そのことをよろこびながら、共に心豊かな人生を歩ませていただきましょう。

本願寺派布教使 末澤 真吾

私を
苦しめるのは
私の心

 私(わたし)を苦(くる)しめるのは、私(わたし)の心(こころ)。

 こんな仕事(しごと)は面白(おもしろ)くない。お金(かね)がないのでみじめだ。あの人(ひと)さえいなければ楽(たの)しいのに。自分(じぶん)にはもう見込(みこ)みがない。こんなことを口癖(くちぐせ)にして、私(わたし)たちは暗(くら)い思(おも)いに沈(しず)んでいきます。しかし、環境(かんきょう)(まわり)が自分(じぶん)を苦(くる)しめるということはないのです。面白(おもしろ)くないと腹(はら)を立(た)て、みじめだと思(おも)い、また見込(みこ)みがないと決(き)めつけてしまう自分(じぶん)の思(おも)いが苦(くる)しみに沈(しず)んでいくのです。

 イヤな人(ひと)がいるのではありません。あの人(ひと)はイヤな人(ひと)だと思(おも)っている私(わたし)がここに居(い)るだけです。全(すべ)ては自分(じぶん)にとって大切(たいせつ)なことばかりです。

 阿弥陀(あみだ)さまのお働(はたら)きの中で、そんな自分(じぶん)の姿(すがた)に気付(きづ)かせていただきましょう。

お医者は大嫌い
坊さんも大嫌い
でも老いて弱って死んでゆく

「皆(みな)さん、お仕事(しごと)ご苦労様(くろうさま)ですね」
「あ、いやあ~」
「ところで何(なん)の為(ため)にこうして働(はたら)いているんですか」
「あんた仕事(しごと)せんとお金(かね)貰(もら)えませんがな」
「お金(かね)を貰(もら)ってどうするんですか」
「金(かね)貰(もろ)うたらあんた、米(こめ)買(か)いますがな」
「お米(こめ)を買(か)ってどうするんですか」
「米(こめ)買(こ)うたら炊(た)いて食(く)いますがな」
「食(た)べてどうするんですか」
「食(く)わにゃあ、あんた死(し)にますがな」
「じゃあ食(た)べておったら死(し)にませんか」
「・・・・・・」

元気(げんき)(医者嫌(いしゃぎら)い)で長生(ながい)き(坊(ぼう)さん嫌(ぎら)い)と頑張(がんば)っていますが、この大(おお)きな矛盾(むじゅん)を南無阿弥陀佛(なもあみだぶつ)によって解決(かいけつ)してゆきましょう。

戦前(せんぜん)の田中(たなか)義一(ぎいち)内閣(ないかく)の逓相(ていしょう)、
内相(ないしょう)・望月(もちづき)圭介(けいすけ)のエピソードより

(本願寺派(ほんがんじは)布教使(ふきょうし) 西(にし) 方眞(ほうしん))

死ぬまでは
愚者といはれた
佛かな

 私(わたし)たちは、自(みずか)らを愚(おろ)かな者(もの)とは思(おも)えません。ところが、親鸞聖人(しんらんしょうにん)は「愚禿(ぐとく)」と名乗(なの)られ、源空聖人(げんくうしょうにん)は「愚痴(ぐち)の法然房(ほうねんぼう)」と称(しょう)され、源信僧都(げんしんそうず)は「予(よ)ガ如(ごと)キ頑魯之者(がんろのもの)」と自戒(じかい)されました。

 南無阿弥陀佛(なもあみだぶつ)のおいわれをよくよく聴聞(ちょうもん)すれば、『歎異抄(たんにしょう)』に「罪悪深重(ざいあくじんじゅう)・煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の衆生(しゅじょう)をたすけんがための願(がん)にまします」とあるように、煩悩(ぼんのう)と罪業(ざいごう)に明(あ)け暮(く)れる愚(おろ)かな私(わたし)と気付(きづ)かせ、そんな私(わたし)を必(かなら)ず助(たす)ける本願力(ほんがんりき)の力強(ちからづよ)さ有(あ)り難(がた)さが尊(とうと)く味(あじ)わえるでしょう。

 利井鮮妙師(かがいせんみょうし)が、現世(げんせ)では愚者(ぐしゃ)となって弥陀(みだ)の本願(ほんがん)を仰(あお)ぐ人(ひと)は、来世(らいせ)では浄土(じょうど)に生(う)れて佛(ほとけ)になると詠(よ)まれた一首(いっしゅ)に、真宗(しんしゅう)のみ教(おし)えの深遠(しんえん)さを味(あじ)わっていただけたらと存(ぞん)じます。

本願寺派布教使(ほんがんじはふきょうし) 桑原 浄昭(くわはら じょうしょう)

形によらねばわからぬが
形だけをみていては
本当のことを見失う

 形(かたち)がないものは形(かたち)をとおしてはじめて知(し)ることができます。

 形(かたち)がないものに、私(わたし)たちの心(こころ)があります。自分(じぶん)の気持(きも)ちを相手(あいて)に知(し)ってもらうために、言葉(ことば)や態度(たいど)といった形(かたち)をもって自分(じぶん)の気持(きも)ちを伝(つた)えています。でも、形(かたち)は繕(つくろ)うことができます。だから形(かたち)だけを見(み)ていたのでは、本当(ほんとう)のことを見失(みうしな)うことがあります。

 阿彌陀(あみだ)さまも姿形(すがたかたち)はありません。言葉(ことば)で表現(ひょうげん)することも思(おも)い描(か)くこともできないのが本当(ほんとう)の阿彌陀(あみだ)さまだと。そのままでは私(わたし)たちがその存在(そんざい)を知(し)ることはありませんでした。気(き)づかしめようと阿彌陀(あみだ)さまの方(ほう)から歩(あゆ)み寄(よ)り、姿(すがた)・言葉(ことば)となって現(あらわ)れてくださったのです。

 その姿(すがた)を木(き)に彫(ぼ)り絵像(えぞう)に描(えが)き阿弥陀(あみだ)さまだと思(おも)って手(て)を合(あ)わせてきました。そして、至(いた)り届(とど)いた言葉(ことば)がお念仏(ねんぶつ)だったのですね。

本願寺派布教使(ほんがんじはふきょうし) 宮本 義宣(みやもと ぎせん)

幸せを得たから
感謝するのでなく
感謝するから
幸せになるのです

 仏(ほとけ)さまのお救(すく)いは、救(すく)ってやるぞとの力(ちから)の入(はい)ったものではありません。ましてや救(すく)ってやらなければならないとの義務感(ぎむかん)でもありません。もったいないことですが、救(すく)うのが仏(ほとけ)さまのお仕事(しごと)・本質(ほんしつ)なのです。ですから、救(すく)って下(くだ)さいと願(ねが)うことも、救(すく)われたいと善(よ)い行(おこな)いをし続(つづ)けなければということもありません。ただ「救(すく)うぞ」の阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)のお心(こころ)に、「お陰(かげ)さま」とお念仏(ねんぶつ)で応(こた)えさせていただくのみです。

 幸(しあわ)せになることも、幸(しあわ)せにしてくださいと神仏(しんぶつ)にお願(ねが)いすることで幸(しあわ)せになるのではなく「お陰(かげ)さま」と身近(みぢか)なご縁(えん)に感謝(かんしゃ)する生(い)き方(かた)にこそ、共(とも)に幸(しあわ)せになる因(たね)があるといただくことができます。

(本願寺派布教使(ほんがんじはふきょうし) 守 快信(もり かいしん)

今生の
 納めのさくら
観る人も
 あるべしおのれと
誰れか思はむ

(蒔田さくら子歌集『鱗翅目』より)

「今(いま)見入(みい)っている桜(さくら)が今生(こんじょう)の見納(みおさ)めの桜(さくら)となる人(ひと)もいるだろう。しかし、それを自分(じぶん)のことと思(おも)う人(ひと)は、一人(ひとり)もいない」ということを詩(うた)ったものです。

私(わたし)のいのちは、自分(じぶん)の所有物(しょゆうぶつ)の様(よう)に思(おも)っていますが、自分(じぶん)で思(おも)い通(どお)りにできないのが本当(ほんとう)です。目覚(めざ)めた時(とき)より、誰(だれ)も経験(けいけん)したことのない一日(いちにち)が始(はじ)まるのです。

蓮如(れんにょ)上人(しょうにん)は『御文章(ごぶんしょう)(白骨(はっこつ)章(しょう))』の中(なか)に「われや先(さき)、人(ひと)や先(さき)、今日(きょう)ともしらず、明日(あす)ともしらず」と仰(おっしゃ)られました。その様(よう)に自(みずか)らのあり方(かた)を見据(みす)える時(とき)、毎年(まいねん)同(おな)じ様(よう)に咲(さ)いていると思(おも)っていた桜(さくら)の花(はな)もキラキラと輝(かがや)きだすのです。

明日(あす)の保証(ほしょう)のない「私(わたし)のいのち」と気付(きづ)かされる時(とき)、一日(いちにち)一日(いちにち)を大切(たいせつ)に過(す)ごさせて頂(いただ)くことができるのです。

本願寺派布教使(ほんがんじはふきょうし) 本多 昌道(ほんだ しょうどう)

いくつ年を重ねても
阿弥陀様さまの
光に照らされる
我が身のうれしさよ

 地元(じもと)の老人(ろうじん)施設(しせつ)での法話会(ほうわかい)での出来事(できごと)です。

 百歳(ひゃくさい)をいくつか越(こ)えられ、すでにご家族(かぞく)の方(かた)の顔(かお)すら忘(わす)れておられるようなおばあさんがおられました。車椅子(くるまいす)で一番前(いちばんまえ)に座(すわ)っておられたのですが、法話(ほうわ)の途中(とちゅう)に何(なに)やら独(ひと)り言(ごと)をボソボソ口(くち)にして、両手(りょうて)を合(あ)わせておられます。

 よく聞(き)くと「ありがたい、もったいない」と言(い)っておられました。他(ほか)の何(なに)もかも、自分(じぶん)の家族(かぞく)の顔(かお)すら、いずれ忘(わす)れてしまいかねない私(わたし)の身(み)の上(うえ)です。長(なが)生(い)きをするということはそういうことなのでありましょう。

 法話(ほうわ)が終(お)わり、私(わたし)が「皆(みな)さん、阿弥陀(あみだ)さまの方(ほう)へ向(む)いて、お念仏(ねんぶつ)申(もう)しましょう」と言(い)いかけた途端(とたん)、その場(ば)におられた他(ほか)の誰(だれ)よりも大(おお)きな声(こえ)で「ナンマンダブー」と、そのおばあさんが申(もう)されました。

 いつでも、どこでも、いくつになっても阿弥陀(あみだ)さまに願(ねが)われ、お念仏(ねんぶつ)申(もう)す身(み)にお育(そだ)ていただいた有(あ)り難(がた)さを共々(ともども)に慶(よろこ)ばせていただきたいものです。

(本願寺派布教使 安芸教区 安部 敏孝)

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