法語を味わう(2)
郷(さと)に帰ると
親がいるのではない
親がいるところが
郷(さと)である
母も連れ合いも、郷に帰るときは嬉しそうにしております。帰ると自分の母がいるからです。しかし、親が亡くなると同じ気持ちで郷へ帰ることができるでしょうか。
「親は『おかえり』と、私を待っていてくれた。親がいなくなると、『いらっしゃい』と私は迎えられる。そこは郷ではあるけれども、本当の郷ではなくなった。」とおっしゃった方がおられました。
本当の郷とは、心から安心できる場所ではないでしょうか。親が私を待ってくれている場所。お浄土に行けば阿弥陀さまがいらっしゃるのではなく、今のこの私を救おうとはたらいてくださる阿弥陀さまのましますところが、お浄土であると味わわせていただきます。
(本願寺派布教使 高岡教区 青木 哲隆)
仏さまのお姿は私へのメッセージ
最近、仏像ブームだといわれています。しかし、仏像は単なる美術品ではありません。それぞれの仏像には、奥深いメッセージが込められているのです。
浄土真宗のご本尊は『阿弥陀如来』です。お木造の阿弥陀さまのお姿には、仏さまのお気持ちがメッセージとして表されているのです。阿弥陀さまの頭は、二段になっています。上に盛り上がった部分は『肉髻(にっけい)』といって、私たち人間とは比べ物にならないほどたくさんの智慧を持っておられるので、知恵袋のようになっています。眼は『半眼(はんがん)』といい、半分開いておられます。私たちを、慈悲の心でご覧になっていることを表しています。
慈悲とは、同情とは違います。私の苦しみや悲しみを、阿弥陀さまは自分の苦しみ、悲しみとされるのです。慈悲とは、自分と相手との区別が無くなってしまうことです。
手の指の間には、水かきのような膜があります。これは、すべてのものをもらさずすくい取り、決して見捨てないという心を表しています。足はへん平足で、土踏まずがありません。これは、足と地面との間に隙間がないということで、私たちと隙間ひとつ開けないように、いつもひとつにピタッとなってくださっている。ということを表しています。
そして何よりも、浄土真宗の阿弥陀さまは前かがみに立っておられます。これは、行動する仏さまを表しているのです。苦悩の中に生きる私たちを救わんがために立ち上がり、私と命を共にして精一杯働いてくださる仏さまの慈悲を表した姿なのです。たとえば、ようやく歩き出した「危ない」ということも知らない幼子が、自動車の行きかう表通りへヨチヨチと出て行くのを見て、母親は家の中でジッと眺めて「危ないよ!」と叫んでいるわけにはいきません。どんな大事な仕事でも差し置いて、走って出て連れて帰ることでしょう。
阿弥陀さまは、ただお浄土から呼んでおられるのではなく、苦しみ悩む私たちの人生の中に来てくださり、急いで救おうと働いておられるのです。
そのようなお姿の意味を知って阿弥陀さまを拝見しますと、仏像の味わい方というものが変わってきます。不安な時代に、悩み苦しみながら生きている私の下へ来てくださり、私の人生すべてを支えてくださるのが、阿弥陀さまであります。
どこへ行くか分からない私の命に、「仏の悟りの世界<お浄土>という世界があるのだよ。あなたを必ず連れて行って、私とおなじ仏にしてあげよう」と導いてくださるのです。
仏さまのお姿は、私へのメッセージ
『北御堂テレホン法話 2009年12月より』
祈りのない宗教 浄土真宗
日本はいつの間にか世界でも有数の自殺の多い国、ということになっているようです。特に子どもの自殺が多いのには心が痛みます。「命あっての物種」と言います。「死ぬ気になれば何も怖いことはない」とも言います。「命あればこそ」は何処かに行ってしまったのでしょうか。
人生には“苦”が伴います。自殺する人は、多分生活の中での苦、特に人間関係の中での苦に耐え切れず命を絶ったのでしょう。しかしもっと根源的な苦。「生そのものの苦。人間であることの苦」を忘れてはいないでしょうか。人間だけが、やがて死なねばならない身として生きていることを知っています。このことに気がつけば、“生”をもっと切実に思うのではないでしょうか。
一方では、何とか“死”を近づけないようにしています。縁起が悪いとかいって死という言葉さえ嫌がります。
年回りが悪いから台所の改装を延ばしたという話を最近聞きました。よく聞いてみると、リフォームの設計者がそう言ったと言います。科学が進めばこんな迷信は無くなるはずです。ところが、ますます増えてきています。死を予見することができる人間には全てのことに不安が付きまといます。人間に不安がある限り迷信は解消しないでしょう。
死者が出ると葬式屋さんが来て、湯かんまでしてくれます。家族でしたものです。そして死を実感したものでした。子どももそれを取り巻いて、冷たく動かないおじいちゃんを見て死を実感したものでした。せめて顔に手を触れさせて冷たくなった肉親を感じさせることはできないでしょうか。“死”を直視してこなかったことから“生”を軽く見る結果を引き起こしていると思います。
善因樂果 悪因苦果(ぜんいんらっか あくいんくか)と言います。「樂果」を得るほどの「因」を作ることができますか。「因」が無いのに「果」は出てきません。「悪因」は山ほど作ってきています。「悪果」を覚悟しなければなりません。「地獄は一定すみかぞかし」ではありませんか。
その私たちに対して阿弥陀如来のご本願は、私のねがい、思いに先立って働いていただいています。先立って働いていただいているからこそ、祈りの無い教えとなっているのです。私の祈りに先立って、阿弥陀如来は願いをかけてくださっています。
祈る必要がない浄土真宗です。『現世利益和讃』に、「南無阿弥陀仏をとなふれば 四天大王もろともに よるひるつねにまもりつつ よろづの悪鬼をちかづけず」、「南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり」、「一切の功徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏をとなふれば 三世の重障みなながら かならず転じて軽微なり」
『世の中安穏なれ 仏法ひろまれ』と親鸞さまはご消息で申されています。
『北御堂テレホン法話 2007年3月より』
私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に千の風になって あの大きな空を吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ 冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に千の風になって あの大きな空を吹きわたっています
この歌をはじめて聴いたのは去年の九月ごろのことで、歌手は上條恒彦さんでした。他の事をしていて、耳からテレビの音が入ってきたものでした。そのときの感じは、「あっ、これは浄土真宗の歌かな。これは珍しい」と思いました。すぐネットで調べてみると、この歌の生まれはアメリカ。百年も前のことでこの歌詞は、追弔行事で何回も読まれた経歴があるそうです。もちろん英語の詩で、作者は分かりません。日本での訳詩は新井満さんで、歌手も新井さんを始め何人かの名前が挙がっています。わたしは十二月四日の本願寺津村別院の土曜講座で歌い「これは浄土真宗の『還相回向』を歌ったかのような歌ですね」ということからお話しをはじめました。
信心の人は現生で、つまり生きているうちに正定聚といって浄土へ往生する仲間入りをさせていただきます。この世の命が終わると即時に浄土に生まれ、直ちに成仏の可をいただくのが真宗のご利益なのです。それだけではなく、すぐさま迷いのこの世に還って有縁の人々と関わりを持たせていただく。その中には、お釈迦さまや親鸞さまのようなとてつもない働きの方もありますが、この歌のように風や星になって、残してきた人々に希望を与える働きをするというのでしょう。
このくだりは『正信偈』では「広由本願力回向 為度群生彰一心 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華蔵世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通 入生死園示応化」とお示しです。新井満さんはご法義のあつい新潟県の生まれで、若くしてこの世を去った友人の奥さんの追悼のために訳詩をされ、作曲をされ、それをCDにされました。それをその友人の奥さんの一周忌に送られたということです。新井さん自身はひょっとして気付いておられないかもしれませんが、ご法義が身に染み付いていたのかもしれません。風景、風土、風雅、風姿、風流など、風の字が前につく熟語は百を超えるほどあるのです。組織の風通しが悪い、など風を使います。現代の住宅では、自然の風が通らない、などと言いますね。いろいろと考えさせられる「千の風」でした。
『北御堂テレホン法話 2007年3月より』
ただ念仏して
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀に助けまいらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。
昨年の朝日新聞の『折々のうた』に
「繋がれて翻弄さるるはまっぴらと思ひつつ待つ君のメールを」
「駅階段下りきて左右に分かれたりきみはうからへわれはひとりへ」
“うから”と言うのは家庭ですね。彼は家庭へ帰る。私は独りのアパートに帰る。そんな感じです。いまの二句は道ならぬ恋のうた。作者は別々の教養ある女性で、朝日新聞『折々のうた』に昨年掲載されました。不倫と言うのでしょうか、不条理を客観的にみているように感じます。こうあらねばならないと理性は判断するのに、どうにもならないもう一人の自分を持て余しているような感じですね。
冒頭の言葉はもちろん『歎異抄』。『歎異抄』は、往生極楽の道を昔御開山から聞いて信じてはいたのに、他の人から違うことを聞かされて、迷いつつ京都まで十余ヶ国の境を越えて問いただしに来た人に対する聖人の答え。事の次第、内容は違いますけど迷いの中で自分を見失って困りきっているという場面は一緒ですね。
「ただ念仏して弥陀に助けまいらすべし」と言い切られた聖人の言葉の重みを感じます。たぶん唯円房もその中に居たのでしょう。その方々は信心を取り戻して関東へ帰っていかれました。二人の女性の中の一人は、故郷に帰りほろ苦い昔を詠まれたのだと感じます。さてもう一人はいまも悩んでおられるのでしょうか。「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀に助けまいらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり」念仏できる身ということは、本願力が働いている証拠。必ず救うの御声が届いた証拠なのでしょう。
以前に、神戸のあるお寺の法座に寄せていただいた時のことです。法話を終えて控え室に戻りますと、お世話役である総代さんが部屋に来られ、お礼の挨拶をされた後、私にこんな話を聞かせてくださいました。
『今日のご法話を聞きながら私は、今は亡き妻のことを思い出しておりました。妻とは52年間連れ添いましたが、今年はその妻の三回忌にあたります。妻が亡くなる前の3年間は、認知症となって苦しみましたが、私が最後まで介護をいたしました。まさに老老介護でして、まさか自分が認知症になった妻の面倒をみることになるとは夢にも思っていませんでした。妻は私の親の面倒をよく見てくれましたので、私もまた、最後まで世話をさせてもらうことになりました。
介護をしておりますと、ふとこちらの言うことがわかっているのかと感じる時があり、ある時、妻が何気なくポツリと独り言のように言った言葉が今も忘れられません。妻は、「私が生きとったらお父さん、幸せになられへんね」と言ったのです。とっさに、「なにを言うてんねん。今が充分幸せなんやから、心配ないから、安心しなさい」と申しましたが、その後、どう寄り添ってやればよかったのか、いまもその言葉が忘れられんのです』と言われ、しばし絶句され涙を流されました。そして『振り返って妻を充分に幸せにしてやれたのかどうか心もとないことですが、阿弥陀さんの世界でまた妻と逢える、お浄土で逢えるという教え、私たち二人にお念仏があって本当に良かったです』と申されたのでありました。
経典には、“人、世間愛欲の中にありて、独り生じ独り死し、独り去り独り来たる”と説かれています。まことに人生は孤独であり、誰に代わってもらうことも、代わってあげることもできない独りきりの人生であると示されています。
しかし、また一方で、人間は一人では決して生きていくことはできないのであります。阿弥陀さまはそのような孤独の人生をみそなわし、決して一人ぼっちにはさせないと働いてくださっている仏さまです。避けることのできない別離の悲しみにあっても、そのひとりひとりの孤独の人生に呼びかけ、抱きしめてくださっているのです。私たちはそのお呼びかけをお聞かせいただくところに、老いや病や死という不安も安心に変えられ、苦悩も喜びへと転ぜられていく“転悪成善の益”が、自ずと恵まれることを親鸞さまはお示しくださっています。私はその総代さんのお話を聞いて、ご夫婦の52年間の歳月の重さと、特に辛かった最後の3年間の生活に思いをいたしながら、常に呼び続け、支え続けてくださっている阿弥陀さまのお働きを感じ、お念仏を申さずにはおれませんでした。必ず一つの処にて会う“倶会一処”のお浄土が用意されてあるという安心をいただき、私もまた支えあって生きる幸せを求めていきたいと思います。
『北御堂テレホン法話 2008年1月より』
いまから十数年前に出版された『日本一短い「母」への手紙』という本があります。これは福井県丸岡町が企画し、全国から「母」への熱き思いを募集し、寄せられた三万余通の手紙の中から秀作を選び、一冊の本にしたものです。その中の『一筆啓上』章に「お母さん、雪の降る夜に私を生んでくださってありがとう。もうすぐ雪ですね」という一編があります。この方の出産の状況が一体どのようなものであったのか知る由もありませんが、大変困難な状況の下での出産であったのかもしれません。
「お母さん、いつもありがとうございます。母の日一日ではとても足りないくらいです」これは、私の姉が母の日にプレゼントした花かごに添えていた自筆のカードの言葉であります。母と同じく寺に嫁ぎ、三十六年。二人の子どもの母となり、長いこと同居していた夫の両親を見送り、やがて長男の結婚も経験し、ようやく自分の母の苦労にたどり着き、一年に一日のプレゼントくらいではとても足りない。ごめんなさい。と伝えているのです。ここにもまた、この母と、この子にしかない『一筆啓上』があります。しかし、肝心の私は感心するばかりで長年同居の母にはいまだ『一筆啓上』ができないでいる不肖の息子であります。
近年、家庭内での殺傷事件が日常的に報道され、親と子が互いに殺しあったり、傷つけあったりするという悲しい事件が起こっています。それを見聞きするたびに、本当にやり切れない暗い気持ちになります。命が軽視される時代になり、ご恩を忘れ去る社会になってしまいました。私たちは両手を合わせ、み仏の限りない慈悲の心を家庭に取り戻し、人と人との命を繋ぐ、尊いみ教えを仰いでゆかねばなりません。
産声をあげた私の命の誕生は、母としての喜びであり、また、母として生きる苦難の人生の始まりでもあります。「お母さん」と呼ぶ声。それはなんと温かい響きを持った言葉でありましょうか。私が母の名を呼ぶ声は、そのまま母が私を呼んでくださる声そのものであり、それは、母と呼んで欲しい、呼ばせたいと言う切なる親の願いの表現なのであります。南無阿弥陀仏とお念仏申すとき、阿弥陀さまが必ず救うと呼んでくださる大悲の母の声を感じることができましょう。念仏者は、ありがとうございます。もったいないことです。と深きご恩を知って、大いなる徳を報じていくことができる「知恩報徳の利益」をいただくのです。
『北御堂テレホン法話 2007年12月より』
『がん告知のあとで』という本の著者である鈴木章子さんは、いまから約二十年程前、がんという病の中で数多くの珠玉の詩を残され、四十七年間のお念仏の生涯を終えられました。その中の一編に「おやすみなさい」という詩がございます。
「お父さんありがとう またあした会えるといいね」 と手を振る。
テレビを観ている顔をこちらに向けて
「おかあさん ありがとう またあした会えるといいね」と手を振ってくれる。
今日一日の充分が、胸いっぱいにあふれてくる
そして朝は、「お父さん、会えてよかったね」「お母さん、会えてよかったね」と恋人同士のような暮らしをしています
振り返ってみると、この四十六年間こんな挨拶を一度だってしたことがあったでしょうか。みんな、がんをいただいて気づかされたことばかりです。
これは、鈴木章子さんの病が進み、転移を繰り返していく中、次第に体力も減退し、自宅療養で付き添ってくれている夫に対して、夫が逆に体を壊してしまわないかと気遣って、寝室を別にされるようになったところから詠まれた詩でありました。鈴木さんは、避けがたい自分の死を、お念仏に出会い、受け入れていく中で人として生まれたことのありがたさ、愛する人とめぐり合えたことの素晴らしさ、そして、その愛する人と苦しみや悲しみを共にして人生を過ごす事ができたことの嬉しさを伝えられ、家族夫婦が交わす何気ない挨拶ひとつにもこんな幸せが隠されていたことを、四十六年間も知らずにいた自分であったことに、驚きをたてておられるのです。がんをいただいた。がんによって気付かされたお陰である。と表現されているのです。そして、そのように病を受け入れることができたのは、ひとえに、どんなことがあっても見捨てることができない。あなたを必ず救う。という揺るぎのない弥陀大悲のお誓いが届けられてあったからに他なりません。
親鸞聖人は、ご信心を頂くことは喜び多き日々を生きることである。心多歓喜の利益が与えられるのである、と教えてくださっています。私たちの人生の苦しみ、悲しみがどれほど深くとも、その私の苦悩をいつも抱きとめ、ともに悲しんでくださる阿弥陀さまのそのお心をいただく時、ふとした出会い、さまざまな巡り合いのご縁がありがたく感じられてまいります。
『北御堂テレホン法話 2008年1月より』
私たちは、ついつい己を先に立てる習い性が染み付いています。それは自力であって捨てていくものでありますが、この捨てることは、私の力ではまた到底かなわないものであります。これを捨てさせる働きもまた、阿弥陀如来の働きによるものであるとしらされます。それは私の、自身に対して持つ心配など遠く及ばない阿弥陀如来の私への心配であるからでしょう。
さて、それを教えていただける尊いお話しを先輩から聞かせていただきましたので、この度のご縁の最後にご紹介させていただくのです。
先輩のお知り合いですが、お母さまがおられました。ずっと育てていただき、感謝するばかりのお母さまでしたが、ついに重い病にかかり入院されました。お医者さまからは、もうそんなに永くないと言われていましたので、ご兄弟で交代交代看病されていました。困ったもので、永くないと言われて、そこからの一日一日の看病は辛いものでありました。ただ何も言われないお母さまの側で、夜を過ごすだけの繰り返しです。いつしか、心のどこかに『私ももう看病に疲れてきたなあ』と思うようにもなっていました。その息子さんが、ある時夜の看病の当番になりました。昼間の仕事の疲れもあり、ただお母さまのベットの横に座っていますと、ウトウトし始めました。ふと背中に重さを感じて眼を覚ますと、寝ていたはずのお母さまが起き上がって、毛布を自分の背中に掛けようとされていました。とっさにその息子さんは「お母さん、寝てなくてはダメじゃないか」と、ビックリしてそう言われたそうです。するとお母さんは、「あんたそんな格好でおったら、風邪を引くではないか」とおっしゃったのです。お母さまは、まもなく息を引き取られたのですが、最後の最後まで、母親の子どもを心配する気持ちは子どものそれを超えていたと言われていました。
私たちは、自分がなによりも苦労していると思い、やがては親を支えるまでの自分と思います。しかし、本当の親さまの心配、そしてお育ては、どれだけの私であってもそれを超えていると知らされるばかりです。
浄土真宗は、阿弥陀如来の救いの働きのご恩への恩返しは問いません。代わりに“御恩報謝”と言います。“報謝”、つまり“御恩”に対して感謝し、頭を垂れていくばかりです。ご恩を背負って生きていくことができるのが浄土真宗なのです。しかし、それは限りなく無尽に拡がり続く変わらない阿弥陀如来と私の関係であると知らされていけるのです。いつでも、どこでも、どんな時でも阿弥陀如来の前で法悦に浸らせていただける。それが浄土真宗のご法義であります。
『北御堂テレホン法話 2007年1月より』
姥捨て山伝説というものがあります。いくつかのパターンがあるのですが、かつてアインシュタインが日本を訪れたとき『他力本願』について質問があったようです。そのときに、ひとりの日本の科学者が、姥捨て山伝説の話をして『他力』を説明されました。
信州に昔、姥捨て山がありました。村で、生産活動に従事できなくなった老婆を、その息子が山に捨てていくという習慣があったようです。ところが、この習慣が無くなるきっかけとなるその出来事の話です。
親孝行の青年がいましたが、ついに村の習慣で自分が母親を山に捨てるときが来ました。青年は村の掟とはいえ、自分の定めを恨みながらも母親を背負って夕方に山に入っていきました。ただ黙々と母を背負い、山奥に進みます。いつしか日も暮れ始めましたが、できるだけ奥深く入り、万が一に母が山から麓の村へ戻らぬようと歩みを続けておりました。しばらくすると、奇妙なことに青年は気づくのです。道が二手に分かれる所にさしかかると、「ポキッ ポキッ」と背中で木が折れる音がするのです。青年は、背中の母親が分かれ道で印を付けていることに気づきました。すると、山歩きの疲れも手伝い急に腹が立ってきました。自分が村の掟に従って嫌々ながらも定めを受け入れたのに、母は何も分かってくれないと思いました。そこで母を道に降ろして、「お母さん。もういい加減にしてください。未練がましいではないか」と言ったときでした。お母さんは息子を見上げ、微笑みながらこう言われたのです。「私は心配せんでも、山を下りたりはしないよ。それよりお前、こんなに周りも暗くなったんだ。分かれ道では、私が来た方向が分かるように枝を折って印を付けたから、それを頼りにお帰りなさい」その母の言葉を聞いて青年はハッとなり、「お母さん、ごめんなさい。ごめんなさい」とつぶやきながら、一目散に山を駆け下りました。そして、そのことを村の人々に告げました。そして、みな大切なことに気付き、この習慣をやめられたそうです。
この、母が子どもを思う気持ちのように、阿弥陀如来が私たちを心配してくだされる働き。それによって我々が導かれていくことを『他力本願』というんだと、科学者はアインシュタインさんに伝えたそうです。アインシュタインは話しを聞き終わらないうちに泣き崩れたと言います。
さて、私というものを育て上げるのは大変なご苦労があってのことだと思います。そして、その私を思ってくださる心はなかなか私には届きにくいものであるとも思います。それでも、その見返りを問題とされないお育てこそが私を育んでいってくださるのですね。阿弥陀如来は、私を、命の尽きる時、仏と育て仕上げてみせる。とお誓いくださる仏さまでした。時にわれわれも、このお育てに出会ってハッとさせていただきながら絶大な安心をいただいていくのだと思われるのです。
『北御堂テレホン法話 2007年1月より』


