たったひとつの願い
浜田廣介氏の童話に、「たったひとつの願い」というお話があります。ある街はずれにたっている古くなった街灯のお話しです。
この街灯も、新しくたった当時は人々から暗かった道を明るく照らしてくれる街灯として喜ばれていたのでしょう。しかし、いつしか街灯は古くなり、人々は街灯があることすらも忘れ、急ぐように家路に向かいます。それでも街灯はできる限りの力をふりしぼり、道を明るく照らしていました。
街灯は、行き交う人を見おろしながら、たった一度でいいから、自分の方を向いて、明るいなぁといってほしいという願いをもっていました。しかし、くる日もくる日も人々は街灯には気づかずに通りすぎてゆきます。ある嵐の夜、街灯は最後の力をふりしぼり、道を明るく照らしていました。そこへ子供が二人、大切な宝物の貝がらを見せあいながら、家へ帰ろうとしていました。その時、貝がらが街灯の明かりに照らし出されて、美しく輝いたのです。
子供達は驚き、上を見上げました。
「なんて明るい街灯だろう。街灯さんありがとう」
嵐が過ぎ去った朝、街灯はついに力つきて倒れていました。でも、その明かりは星になって永遠に輝き続けています。
現代は、新しいもの新しいものへと目をやり、古くなったもの、弱い立場のものへは目を向けなくなっているように思います。社会福祉、老人福祉などが叫ばれてはきているものの、「存在を認めてもらえないと」自殺する老人も増えているのが現実です。
忙しく働き、新しいものを手にいれ、物質面では豊かになったものの心の豊かさを忘れてきたのではないでしょうか。
心の豊かさは、「よろこび」の中に生まれてくるものです。
生きているよろこび、古いものを大切にするよろこび、新しいものを得たよろこび、生かされていることに気づいたよろこび、そんなよろこびをたくさん持っている人が幸せな人なのです。
街灯のたった一つの願いは、「よろこび」をかわしあう心を持ってほしいという願いであったのではないでしょうか。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より