新聞配達
ふり返ってみると、今の自分があるためには欠くことのできない人との出会いがあります。
私は、予備校、大学と住み込みの新聞配達をしながら学校へ通いました。新聞販売所には 7 人の仲間と優しくていつもにこにこしている奥さん(おばちゃん)と、たぬきというあだ名の短気な所長(おじちゃん)がいました。
短気なおじちゃんは、いつも大きな声で怒鳴ってばかり、それをなだめてくれるのがおばちゃんの役目でした。
毎朝4時半になると、金属バットをもって私たちを起こして回ります。「おい、いつまで寝てるんだ。起きろ」といわれてすぐに、ドアをあけて返事をしなければ、バットでドアをたたきます。私たちの部屋のドアはすでに何ヶ所か穴があいていました。
「何もあんなに怒鳴らんでもよかろうに」と、みんなは腹をたてつつ配達にでるのが日課になっていました。
5年が過ぎて、大学を卒業するとき、おじちゃんが優しい顔でいいました。「親御さんからあずかった君達を、無事親の元へお返しすることが出来たことが何よりうれしい。」
もしおじちゃんが怒鳴らなかったら私たちは寝ぼけ眼のまま配達にでて、交通事故を起こしたかもしれません。
おじちゃんもおばちゃんも私たちが配達を終えて帰ってくるまで、ずっと心配しながら待っていてくれました。そのことを知らずに、腹をたてていた私たちを、おばちゃんがなぐさめたり、はげましたり、そして、いつでもおいしい食事をつくって待っていてくれました。まさに親の心子知らずです。
私が、今何とかがんばっていけるのもあなたのおかげです。
お念佛によってたくさんの「おかげさま」を知らせていただきました。
『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より