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つまづいたおかげで

 父と一緒に出かけた時のことです。私たちの前を一見して障害者と思われる男の人が歩いていました。真冬だというのに着ているのはTシャツ一枚。寒そうに身体をこごめて歩いています。「かわいそう…」と同情するだけの私。でも父は、その人に近寄ったかと思うと、自分の着ていたジャケットを脱いで肩にかけたのです。その行為は本当に自然に行われました。家に帰ってから母にしかられていた父。でも父はポツンと言ったのです。「冬は誰でも寒いのだから」なんだか嬉しくて、とてもおかしい一言でした。この言葉に反論できる人は一人もいません。「父はすごい」…そう思いました。他人の痛みをそのまま自分の痛みとして感じてしまう父。こんな父をもったことを誇りに思いました。そしてこの一言は、浪人中の私のモヤモヤをふきとばしてさわやかにしてくれました。

  確かに私は、ほとんどの中学生が進学する高校に落ちた。でもそれはささいなこと。「冬は誰でも寒いのだから」…大自然の中では人間はみんな同じ者。目先の事にくよくよしないで悲願しないで、もっと広々と考えよう。私に歩み出す力を与えてくれた頼もしい父の一言であった。父の体温を保ったジャケットは、あの人にも、きっと温かったことでしょう。
この作文は近江同盟新聞の8月17日号に載せられたものです。

  志望する高校に落ちて暗い浪人生活をしていた作者は、ふとした父の姿を通して父の温かさそして大きさを感じ、その生き方を学んだことでしょう。

  人は、挫折や苦労を通して少しずつ人生の重さを知り、おおきくなっていきます。何かにつまずいたとき、初めて自分自身を見つめることが出来ます。そして、その時に自分の周りにいる人の存在に気付きます。

  けつまづいて 心くじけて わたしはここで 正味の自分に会いました
  (榎本栄一)

  人は人生につまづいたとき、本当の自分を知ることができるのかもしれません。

『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より

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