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熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その2

【熊】  「御隠居はん、持ってきましたで。」

【御隠居】「ああ早かったな。どれ、見せてみなはれ。ああやっぱり阿弥陀経やったんやな。これやったら、私も読んだことがあるから、大体わかりますわ。」

【熊】  「そらよろしいな。ほんなら先ず始めに、仏説阿弥陀経と始まってるのは何でっか。」

【御隠居】「ああそやな、『ぶっせつあみだきょー』とお坊さんが一人で読むとこやな。これはな、題号といいましてな。本の題と同じことなんや。お経というのはな、みんな『仏説』とついてるんや。これはお釈迦さんが説かれたというとをあらわしてるんや。」

【熊】  「ああ、お釈迦いうたら、あかんようになった時にいうことですやろ。この前、大工の徳さんがのこぎりをしげしげ見ながら、『あーあ、こりゃお釈迦や』いうて、ほってましたで。」

【御隠居】「また、そんなこという。ええかげんにしときや。お釈迦さんゆうたらな、2500年ぐらい前に、インドにお生まれになって、悟りを開かれて、仏教を説かれた方や。ほれ、子供の頃に、4月の始めごろ花御堂の中に立っておられる小さい仏さまに甘茶をかけたんおぼえてるやろ。」

【熊】  「おぼえてますで、甘茶ゆうたら、紅茶みたいなやつでっしゃろ。それやったら、かけたあとに飲ましてもらいましたわ。あれがお釈迦さんですかいな。」

【御隠居】「そや、そのお釈迦さんが説いて下さったものやぞというしるしが『仏説』ということや。」

【熊】  「そしたら、次の『阿弥陀経』ってのがこのお経の題でんな。」

【御隠居】「そやそや、お経というのはな、元々サンスクリットというてインドの古い言葉で書かれてたんや。それを中国で漢字に直したんやな。その時に英語を日本語に直す時のように、意味を考えて直したんやけど、中には意味から漢字に直したんでは、おかしなってしまうもんもあったんやな。それがこの『阿弥陀』や。熊はんも知ってるやろ、これは仏さんの名前や。」

【熊】  「そうすると、これは阿弥陀さんのことをお釈迦さんが説いて下さった本ということでんな。」

【御隠居】「そやな、そういうことになるな。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より

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