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凡夫の正体

 「善いことをしようと思えばすぐ出来る。悪いことをやめようと思えばすぐやめられる。これを思いあがりという」という言葉があります。善いことをしようと思っても、悪いことをやめようと思ってもなかなか出来るものではありません。

 私たちは人にやさしくしよう、善いことをしてあげようと思っていても、相手の出方次第ですぐにその気持ちがくずれていきます。「もっとやさしく言えばいいのに」とか、「そこまで言わなくてもいいのに」とか、「折角やさしくしようと思っていたのにあんな態度はないよ」と相手を責め裁いています。愚痴がでてきます。

 私たちは腹をたてまいと思っていても、腹をたてる縁がくればいつの間にか腹をたてています。逆に腹をたてようと思っていても、縁がなければ腹がたつものではありません。すべて縁次第です。これは教養があるとか、学問をつんでいるとか、よく修行をしているとかは無関係です。煩悩とはそういうものを超えておこるのです。それは人間の本性が、どこまでも煩悩具足の凡夫であるということです。

 評論家の江坂彰さんは、「私はサラリーマン時代、役員寸前でトップの勢力にまきこまれて、左遷されたというにがい体験をもっている。悲しみで心が騒いだ。こんなに懸命に社会のために頑張ってきたのにという無念さもあった。『歎異抄』が読みたくなった。声を出して読んでいるうちに、私を飛ばしたトップに対する怨念は、ふしぎなほど跡形なく消えていった。かりに立場が逆なら、私もまた自分を飛ばした上司をけ飛ばしてしまっただろう。殺すか殺さないかは、ほんのわずかの差でしかない」と述べられていました。

 殺すも殺さぬも、腹がたつのもたたぬのも縁次第です。さるべき業縁がもようさば如何なる振舞いをするかわからない私にとって、お念仏を生きる依りどころとし、お念仏申して生きるしかないのです。 

『聞法(1996(平成8)年7月20日発行)』 (著者 :不死川 浄)より

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