浄土真宗だけのおはなし①
お正月ともなれば、実家に帰ったりしますね。そうすると何ともいえない安らぎを感じたりします。そんな様子から、ひとつご法話をさせていただきます。
少し前にある先生から、むかし“雲山和上”というお坊さんがお話しされたと言うものをご紹介いたします。
あるところに結婚して間もないお嫁さんがいました。ある時、嫁ぎ先のお姑さんを連れてご実家に行くことがありました。ご実家に着くと、そのお姑さんを一番奥のお座敷に通しました。そして、「おかあさん、どうぞお疲れでしょう。少しご休憩ください」と言ってお姑さんを休ませ、自分は懐かしい台所に行きました。
ホッとして少し身体を横にすると、あっという間にウトウトとし始めました。
なんとなく分かりますね。やっぱり、どこかで嫁ぎ先は余所行きで、緊張していたのでしょう。誰もいない実家の台所は、そのお嫁さんにとってはいちばん安らげる場所だったのです。
どれくらい寝ていたでしょうか。そのとき台所の障子がガラッと開きました。
お嫁さんは急にスイッチが入ったように飛び起きて、その障子のほうをみました。
そしてしばらく間をおいてこう言ったそうです。「あぁ、おかあさんかと思ったらお母さんだったの」そしていつの間にか微笑みながら、涙がこぼれて来たそうです。
そんなお話しを雲山和上はなさって、こんなことを言われました。
「私たちは普段、あまりにも本当の親さまを粗末にしてはいないでしょうか」と。
時々、「お念仏せねばならんと思ってもなかなかお念仏はでませんね」と言われる方を聞きます。なにを隠そう私もつい忙しさからでしょうか、「この前いつお念仏したかなあ」と思うとドキッとすることがあります。やはり南無阿弥陀仏のお念仏は心がけさせていただかなければ、なかなかできない私であります。
阿弥陀如来はそんな私であるからでしょうか、「お念仏申して生きておくれよ」と願いをかけてくださいました。そして、「いつもお前と一緒にいるからね」とお約束くださるのです。本当の親さまである阿弥陀如来にお育てを受けている私であります。そのお育てのご催促を受けてお念仏をし、立派にお礼が言える者とまで仕上げていただけるのです。
『北御堂テレホン法話 2007年1月より』