浄土真宗だけのおはなし②
1月16日は、浄土真宗の宗祖『親鸞聖人』の祥月命日であります。ご本山では、ご正忌報恩講をお勤めいたします。この度は親鸞さまのことを偲び、いま私たちが阿弥陀如来の法悦に浸る、片隅を味わいたいと思います。
親鸞さまは、29歳まで比叡山で過ごされ、ついにお山を下りて京都で法然聖人の門下となられ、以後再び比叡山には戻られることなく90歳で往生されます。
さて、この比叡山を下りて法然聖人のもとへ向かわれたことは、当時の仏教会の状況から思えば、衝撃的なこととしてさまざまに語られています。比叡山で20年間も修行し、立派な僧侶となられた親鸞さまが、その立場を捨てていくこととして重要な意味を持つからでしょう。しかし、今ご法話の場だけではなく学問的にもこの事実をさまざまに語られていますが、いささか理屈っぽくはなっていないかと思います。それはそれだけ、宗教哲学的にも仏教観を大きく転換させたことだからでしょう。ところがどうも親鸞さまご自身は、このご自身の行動は「たまたま」であったといただかれています。
「たまたま」というと物足りなく思うところが、我々の悪いくせでしょうか。でも「たまたま」法然聖人に出遭われ、「たまたま」阿弥陀如来の教法に帰依した。それだけではありません。「たまたま」人間として生まれ、「たまたま」比叡山で修行するという青年期を過ごし、「たまたま」29歳のころに比叡山から京都の六角堂に100日間通うということがあり、「たまたま」夢のお告げで法然聖人のもとを尋ねることとなった。
私は今、「たまたま」と親鸞さまが阿弥陀如来との出遭いを語ってくださったことにこそ、感謝したいと思うのです。親鸞さまが「たまたま」と理屈っぽく考えがちな他力本願との出遭いを「たまたま」と痛快にも言われるその据わりは、すべて阿弥陀如来のお導きだと喜ばれたからでしょう。理屈っぽく語ればいろいろと推測できる人生の遍歴を、ご自身ではすべて阿弥陀如来のお導きのなかであったと言える。その親鸞さまのお言葉こそが、私たちが今ここに阿弥陀如来のお話を喜ぶことのできる、始めのきっかけであったのです。
そう、私にとって「たまたま」は、阿弥陀如来が私を人として生を受けさせ、阿弥陀如来がいつしか念仏申すものと育てあげ、阿弥陀如来が少し仏法を伺いながら生活をする仏教徒っぽいものに育て上げ、阿弥陀如来が念仏をするなかに命を終わっていく、そういう臨終を迎えさせてくださるのでした。そこに、喜怒哀楽を繰り返しながらも人生のすべての出来事を阿弥陀如来のお育てと喜び、人生で出遭うすれ違うすべての人々を仏さまの化身と尊ぶ、私たちのちょっとこっけいな法悦の生き様が許される、そういう浄土真宗があるのです。
『北御堂テレホン法話 2007年1月より』