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浄土真宗だけのおはなし③

 姥捨て山伝説というものがあります。いくつかのパターンがあるのですが、かつてアインシュタインが日本を訪れたとき『他力本願』について質問があったようです。そのときに、ひとりの日本の科学者が、姥捨て山伝説の話をして『他力』を説明されました。

 信州に昔、姥捨て山がありました。村で、生産活動に従事できなくなった老婆を、その息子が山に捨てていくという習慣があったようです。ところが、この習慣が無くなるきっかけとなるその出来事の話です。

 親孝行の青年がいましたが、ついに村の習慣で自分が母親を山に捨てるときが来ました。青年は村の掟とはいえ、自分の定めを恨みながらも母親を背負って夕方に山に入っていきました。ただ黙々と母を背負い、山奥に進みます。いつしか日も暮れ始めましたが、できるだけ奥深く入り、万が一に母が山から麓の村へ戻らぬようと歩みを続けておりました。しばらくすると、奇妙なことに青年は気づくのです。道が二手に分かれる所にさしかかると、「ポキッ ポキッ」と背中で木が折れる音がするのです。青年は、背中の母親が分かれ道で印を付けていることに気づきました。すると、山歩きの疲れも手伝い急に腹が立ってきました。自分が村の掟に従って嫌々ながらも定めを受け入れたのに、母は何も分かってくれないと思いました。そこで母を道に降ろして、「お母さん。もういい加減にしてください。未練がましいではないか」と言ったときでした。お母さんは息子を見上げ、微笑みながらこう言われたのです。「私は心配せんでも、山を下りたりはしないよ。それよりお前、こんなに周りも暗くなったんだ。分かれ道では、私が来た方向が分かるように枝を折って印を付けたから、それを頼りにお帰りなさい」その母の言葉を聞いて青年はハッとなり、「お母さん、ごめんなさい。ごめんなさい」とつぶやきながら、一目散に山を駆け下りました。そして、そのことを村の人々に告げました。そして、みな大切なことに気付き、この習慣をやめられたそうです。

 この、母が子どもを思う気持ちのように、阿弥陀如来が私たちを心配してくだされる働き。それによって我々が導かれていくことを『他力本願』というんだと、科学者はアインシュタインさんに伝えたそうです。アインシュタインは話しを聞き終わらないうちに泣き崩れたと言います。

 さて、私というものを育て上げるのは大変なご苦労があってのことだと思います。そして、その私を思ってくださる心はなかなか私には届きにくいものであるとも思います。それでも、その見返りを問題とされないお育てこそが私を育んでいってくださるのですね。阿弥陀如来は、私を、命の尽きる時、仏と育て仕上げてみせる。とお誓いくださる仏さまでした。時にわれわれも、このお育てに出会ってハッとさせていただきながら絶大な安心をいただいていくのだと思われるのです。

『北御堂テレホン法話 2007年1月より』

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